サガ3SoLの真エンディングを2種類見終わって感じたことを綴っていきます。あくまでも私個人の解釈のため、相違はあるかと思いますがご了承ください。
真エンディングの完全ネタバレとなっていますので、未プレイの方はご注意ください。
前提として、解釈する上で重要になるワンダラーの台詞を抜粋します。
「私は自らの守るべきものを守ろうとしたにすぎんよ。この時空の狭間と、それを依り所として生きる私の命をな」
「例えば、この世に一人だけの種族がいたとしよう。そいつは増えることも減ることも、変わることも消えることのない存在だ。何の意味もなく生きてきたそいつに、突然、問題が発生した。だが、その問題はあまりに簡単だったので、解決法は無限にあった」
そう、彼が語る通り解決法は無限にあったのです。だって、彼には未来を見通す力があるのだから。
作中でデューンも指摘した通り、ボラージュ=ワンダラーと悟らせずに目的である"時空の狭間と自分の命を守る"ことを達成できたはずなのです。
けれども彼は、わざと複雑な手順を踏んでいます。まるで自分の正体をデューン達に気付かせることが目的であるかのように。
また、タイムズ・ギアをデューン達にたくし使い方を教えたことも、彼の思惑とは矛盾しています。
彼は言いました。
「だが誤算だったのは、キミ達がフレイヤとかいう少女を助けるためだけに、『未来ワープ』を手にすることなく、現代へ戻ってしまったことだ」
そのために、ステスロス2号機というイレギュラーが生じてしまった、と。
でも、未来がわかっていたならそれすらもわかっていたはず。さらに付け加えるならば、タイムズ・ギアという時間を操作するアイテムをデューン達に渡すことで、彼にとってはさらなる誤算が起こるはず。
なぜ彼は自分の正体をデューンたちに気付かせたかったのか。自らの選択に誤算が生じるような種を撒いたのか。
その謎を解く鍵は、デューンの気付きにあると思います。
ワンダラーはダームの街が魔物の群れに襲われた時のことを例に出し、
「その両方とも結果に大きな差はない。差がないために、キミはどちらも選べず、第三の道……つまり、もっと良い方法を探すものかと思っていたのだが……。キミは選択を迷わなかったな、なぜだ?」
とデューンに問います。デューンは、
「おれたちは神じゃない。正しいと思うことをしても、正しいかどうかは自分一人じゃ……」
と言ったところで、気付きます。
「もしかして、お前は、迷ったのか?自分が生きるための選択に?」
と。
このやり取りから読み取れることが2つあります。
1つ目は、ワンダラーがデューンの"選択"を見届けていたと言うこと。このフリーシナリオだけではありません。ワンダラーは、これまでデューン達が体験してきたフリーシナリオの全容を知っているはずです。
タイムズ・ギアを使うか否かの選択と、その過程を全て。
2つ目は、ワンダラーの迷いです。ワンダラーは最後に言います。
「私も神ではない」
と。
以上のことを受けて、以下に私の考えを書きます。
先に述べた通り、ワンダラーは"1人きり"の種族です。
そして、永きにわたる刻を何の意味もなく生きてきた。
意味があるわけがありません。だって、彼には未来も過去も全てがわかるのだから。
私が好きな小説「ブギーポップ・イン・ザ・ミラー パンドラ」に次のような記述があります。
「だってーー全部わかっちゃうのよ。辛いことが待っていることも、悲しい別れのことも、何もかも全部見えてしまったら、きっと人ってもう生きていくことができないと思うわ。でも、未来だけは閉じ込められて、かろうじて人々は"将来はきっといいことがある"という希望だけは失わずにいられている、っていうーーまあ、そういう話」
パンドラの箱に残されたものは希望ではなく、"未来"を知ることができるという不幸だった……という解釈。
ワンダラーには何もかも全部が見えてきたのなら、彼は生きていたとは言えないのではないかと思います。ただ存在していただけ。時空の狭間という悠久の海に漂うだけの存在ーー
けれども、そんな彼に初めて"問題が発生した"。永い刻の中で初めての誤算が生じた。
未来を見ることができる彼には、"自分が生き残るための選択肢"が無限に見えました。
見えたけれど……果たしてどれが1番正しいのか。生まれて初めて経験する『選択』に、彼は戸惑ったのだと思います。
結果は見える。でも、過程が見えない……だからこそ、彼は知りたいと願ったのかもしれません。選択肢を与えられたものがどのように『選択』するのかを。
デューン達にタイムズ・ギアを託したのも、使い方を教えたのもそれを見届けるため。『選択』をする基準を、方法を知りたかったから。
その結果わかったのは、デューンが語っていたように、
「おれのことを信じてくれる人がいる。その人がおれのことを信じてくれている限り、おれは自分が正しいと信じられるからだ」
ということ。作中では、仲間達がデューンの選択を信じてくれています。だからこそ、デューンは迷いながらも『選択』することができた。仲間達と一緒に判断することで、自分の『選択』は正しかったのだと納得することができた。
一方、ワンダラーは孤高の存在です。一人きりの種族。1人きりの存在……彼には、相談相手はいません。信じてくれる仲間もいません。
だから、彼は迷った。
自分の『選択』が正しいという確固たる判断ができなかったから。
きっと彼は、デューン達に判断して欲しかったのだと思います。自分の『選択』は正しかったのかを。
だからこそ、正体がバレるようなことをした。真エンディングのように彼らと対峙する道を選んだ。
真エンディングには選択肢があります。
1.ボラージュを倒す。
2.ボラージュを倒さない。
最後の最後に選択をするのはデューン達です。
1.を選んだ場合、ワンダラーの真意はわかりません。彼は、デューン達の『選択』した"よりよい世界"を見届けると言い残して姿を消します。
"よりよい"というワードは、上記した"第3の道"とも重なるところがあります。
この場合は、ワンダラーは自身の『選択』よりもデューン達の『選択』こそが正しかったと思って消えていくのではないかと思います。
今後は干渉しない=ボラージュという存在もなくなり、彼は再び悠久の刻を1人で揺蕩うことになる。
一方、2.を選んだ場合、ワンダラーの口から思いが語られ、デューンもその本心に気付くことができます。
ワンダラーは最後に言います。
「私としては、この結末、そんなに悪くないと思っているが…どうかね、青年…?」
と。
真ラスボス戦のBGM名は「決意の狭間」。デューンたちと対峙し、自分という存在を理解してもらえたことで、ワンダラーはようやく自分の『選択』は正しかったと『決意』することができたのではないでしょうか。
きっと、ここに至るまで、彼は幾重もの時を繰り返してきたのだと思います。+NewGameの存在が暗示するように、何度目かの歴史を経て真エンディングに辿り着くのだとしたら、彼の迷いのループは、ここでようやく断ち切れるのではないかと私は思います。
ボラージュとして存在できる可能性も否定されていないので、1人きりにならない選択もできるのかも。そう考えると、彼にも救いがあるように思えて嬉しいです。
長文にも関わらず、最後まで読んでくださりありがとうございました。
作中のワンダラーとの会話も加味したらもっと違う考察になるかもしれませんが、取り急ぎ感じたことをまとめました。
ワンダラーさんもボラージュさんもより好きになれるエンディングでした。素晴らしすぎる。