2021年11月26日金曜日

サガスカSteam版プレイ感想&ロマサガRSに思うこと

思ったよりも長文になったので、久しぶりにこちらに文章をUPします。

今回Steam版をプレイするにあたり使用したPCは、GPD Pocket2という7inchUMPCです。

2018年に発売されたもので、後に性能アップしたモデルも発売されていますが私が持っているものは初期性能のものです。何でこんなに小さいPCを愛用しているかというと、ひとえに浪漫です。見た目からして可愛く、それでいてしっかりとPCとして機能するところがたまらなく好きです。


しかし、浪漫&可愛さが快適さにも繋がるかというと決してそんなことはなく。

Steam版のゲームはパソコンのスペックに大きく左右されるため、「ん?」と引っかかる部分はありました。

以下は私のプレイ条件下での気になった点です。


1.解像度について

解像度が最高の状態だと処理落ちが見られました。(全体的にカクカクする)

ただこの点に関しては、解像度を1つ落とすことで快適にプレイできたので高画質を求めるのではなければそこまで気にならないと思います。下げても十分に見れる画質。


2.起動直後の挙動が不安定

これはPCのスペックが完全に影響していると思うのですが、パソコンの起動直後にゲームを立ち上げると、ローティングがかなり長くなることが多かったです。戦闘時のレディゴーのピンの数が10を越えるといった挙動も見れたのである意味面白かったけれども。


……と書き連ねましたが、正直気になったのは上記の2点くらいで、それ以外は快適そのものでした。PCの状態さえ安定すればローディングは短いし、動作も安定しているし、テレビ画面に写してプレイしても不具合はありませんでした。

また、PS4コントローラーをBluetooth接続してプレイしていたのですが、スマホ版と異なりデュアルショックが動作するのが楽しかったです。戦闘中に震える!!

さらに、Steam版はファイル移動をすればAndroid版とセーブデータを共有することができるというメリットがあります。外出時はAndroid版で進め、帰宅後にSteam版でプレイするという使い分けが可能です。実績トロフィーがあるところもやり込みプレーヤーには嬉しい要素だと思う。


これまでにプレイしたことがある端末のプレイ快適度を比較すると、個人的には以下の通りになります。


SwitchSteamGPD Pocket2)<Android(スナドラ845以上)=iOS


正直、Steam版とAndroid版の快適度は端末のスペックに大きく左右されます。

よっぽどローエンドのAndroidじゃなければ大丈夫だと思う。なお、Google Tensor搭載のpixel6でもXperia 1 II(スナドラ865)と遜色なくプレイできました。


iOS版は2017年発売のiPhone8plusで問題なくプレイできているのでかなり安定していると思います。ただその分解像度はモバイル向けに下げられているようですが。また、他プラットフォームとデータ共有ができない&トロフィーがないというのはSwitch版とも共通しているところです。


Switch版はSwitch lite(携帯モード)でプレイしているのが悪いのか、1番カクカク引っかかる感じがします。ソフトを起動し続けるとアーサーのグラフィックがバグるので、奇怪なアーサーの姿が見たい人におすすめ?なのだろうか。


さて、サガスカにはあと1つプレイ可能な機種、PS4版が存在します。

ソフト自体は既に持っているのであとは本体だけなのですが、なかなか新品では売っていないのが苦しいところ。もう中古でも良いかなーと思ってGEOに足を運んでは引き返す日々です。

現在取り組んでいるお題が全部終わったら、頑張ったご褒美としてPS4本体を購入してプレイしたいなと計画中。


以上、Steam版をプレイして感じたこと+αでしたが、今回のプレイで何より驚いたのは、サガスカの変わらぬ面白さでした。

40周目ということもあり、初心に立ち返る意味で引き継ぎなしでプレイしたのですが、閃きと恩寵が織りなす展開の読めない戦闘がとても楽しく、夢中になって進めていました。


戦闘のタイミングを決めるのも、シナリオの順番を決めるのも自分次第。

街の探索やダンジョン探索に時間を割かれるというストレスがない。

イベントを発生させるたびに推しの会話を楽しめる。


私が何度もサガスカ……それ以上にバルマンテ編をプレイしたくなるのはこれらの要素が大きいです。シナリオに関しても同じものを何度も見ているはずなのだけど、実際にプレイするたびにバルマンテに感情移入し心を揺さぶられます。

流れる台詞(ボイス)の余韻や決定ボタンを押すタイミングがゲームならではの臨場感を演出してくれる。これはプレイ動画やスクショじゃ絶対に体験できない。実際にゲームをプレイした人だけの特権です。


少し話は外れてしまいますが、正直なところ、ロマサガRSにおけるサガスカの扱いには眉をひそめることが多いです。

そんな時は、原作を遊べば好きなキャラに会えるし、キャラ同士の掛け合いを見ることができるんだからと自分に言い聞かせて気持ちを落ち着けています。


スタイル数が複数ある&シナリオに登場することが多いシリーズやキャラを羨ましく思うこともあります。そりゃ好きなキャラの活躍しているところは見たいです。公式から新規エピソードが提供されたらどんなに幸せなことか。

だからこそ、インサガECの夏イベントには感謝しかありません。今年はこのイベント&ロマサガRSにアーサーが実装されたこと&D8ホーム画面でバルマンテとアーサーが一緒にいたことがすっごく嬉しかった。と書くと、なんか十分に充実しているような気もしてくるから不思議。ため息の回数が嬉しいの回数を超えているのがモヤモヤする原因なのだろうか。


こういうことを書くと、「GBは優遇されているだろう」「○○はもっと不憫」「実装されているだけまし」という指摘がくると思うのですが、マイナスをマイナスで論破するのはいくらでもできてしまってキリがない。

かと言って遠慮して自分の思いに蓋をしたままでも吐き出さないままでも苦しいは苦しいので、純粋に要望を叫んだり、羨ましいと妬むことくらいは許して欲しいと思う。


明日の生放送でロマサガRS3周年の詳細が明らかになりますが、可能な限り多くのシリーズやキャラに愛が注がれますように。良い方向に転がるといいな。

2021年6月27日日曜日

北東界外でシグフレイと戦闘を回避する方法について

 


セレナイフ州のシグフレイイベントの進め方によって、北東界外でのシグフレイとの戦闘を回避することができます。


条件は、
1.チアーゴを仲間にしない。
2.悪霊イベントでLPを全部減らす前に、セレナイフ州のキノコイベントを終わらせる。

の2つです。

なぜこの場合、北東界外での戦闘が無くなるのかという理由に関しては、Twitterで「セレナイフで2度死ぬ事になったから」と言うリプをいただいてなるほどと腑に落ちました。

モウレワ州→処刑  1回目
テルミナ州→処刑 2回目
ヌマディカ辺境州→処刑 3回目
ハイバーニア州→処刑 4回目
セレナイフ州→最初から死んでいて、悪霊になっている。 5回目
北東界外→直接対決 6回目
アスワカン→ラストバトル 7回目

なので2回蘇ってしまうと、北東界外が7回目=最後の蘇りになる。だからこそ、「ここで君に殺されるわけには行かない」という台詞に繋がるわけですね。良く考えてフラグが立てられている…すごい。

サガスカはうっかり仲間を増やしたくなるゲームなので、なかなか気付かれない分岐なのかな?と思います。攻略本にも載っていない隠し要素はあとどれだけあるのだろう。

2021年3月28日日曜日

選択と決意

サガ3SoLの真エンディングを2種類見終わって感じたことを綴っていきます。あくまでも私個人の解釈のため、相違はあるかと思いますがご了承ください。

真エンディングの完全ネタバレとなっていますので、未プレイの方はご注意ください。

前提として、解釈する上で重要になるワンダラーの台詞を抜粋します。


「私は自らの守るべきものを守ろうとしたにすぎんよ。この時空の狭間と、それを依り所として生きる私の命をな」

「例えば、この世に一人だけの種族がいたとしよう。そいつは増えることも減ることも、変わることも消えることのない存在だ。何の意味もなく生きてきたそいつに、突然、問題が発生した。だが、その問題はあまりに簡単だったので、解決法は無限にあった」


そう、彼が語る通り解決法は無限にあったのです。だって、彼には未来を見通す力があるのだから。

作中でデューンも指摘した通り、ボラージュ=ワンダラーと悟らせずに目的である"時空の狭間と自分の命を守る"ことを達成できたはずなのです。

けれども彼は、わざと複雑な手順を踏んでいます。まるで自分の正体をデューン達に気付かせることが目的であるかのように。


また、タイムズ・ギアをデューン達にたくし使い方を教えたことも、彼の思惑とは矛盾しています。

彼は言いました。

「だが誤算だったのは、キミ達がフレイヤとかいう少女を助けるためだけに、『未来ワープ』を手にすることなく、現代へ戻ってしまったことだ」

そのために、ステスロス2号機というイレギュラーが生じてしまった、と。

でも、未来がわかっていたならそれすらもわかっていたはず。さらに付け加えるならば、タイムズ・ギアという時間を操作するアイテムをデューン達に渡すことで、彼にとってはさらなる誤算が起こるはず。


なぜ彼は自分の正体をデューンたちに気付かせたかったのか。自らの選択に誤算が生じるような種を撒いたのか。


その謎を解く鍵は、デューンの気付きにあると思います。

ワンダラーはダームの街が魔物の群れに襲われた時のことを例に出し、

「その両方とも結果に大きな差はない。差がないために、キミはどちらも選べず、第三の道……つまり、もっと良い方法を探すものかと思っていたのだが……。キミは選択を迷わなかったな、なぜだ?」

とデューンに問います。デューンは、

「おれたちは神じゃない。正しいと思うことをしても、正しいかどうかは自分一人じゃ……

と言ったところで、気付きます。

「もしかして、お前は、迷ったのか?自分が生きるための選択に?」

と。


このやり取りから読み取れることが2つあります。

1つ目は、ワンダラーがデューンの"選択"を見届けていたと言うこと。このフリーシナリオだけではありません。ワンダラーは、これまでデューン達が体験してきたフリーシナリオの全容を知っているはずです。

タイムズ・ギアを使うか否かの選択と、その過程を全て。

2つ目は、ワンダラーの迷いです。ワンダラーは最後に言います。

「私も神ではない」

と。


以上のことを受けて、以下に私の考えを書きます。


先に述べた通り、ワンダラーは"1人きり"の種族です。

そして、永きにわたる刻を何の意味もなく生きてきた。

意味があるわけがありません。だって、彼には未来も過去も全てがわかるのだから。


私が好きな小説「ブギーポップ・イン・ザ・ミラー パンドラ」に次のような記述があります。


「だってーー全部わかっちゃうのよ。辛いことが待っていることも、悲しい別れのことも、何もかも全部見えてしまったら、きっと人ってもう生きていくことができないと思うわ。でも、未来だけは閉じ込められて、かろうじて人々は"将来はきっといいことがある"という希望だけは失わずにいられている、っていうーーまあ、そういう話」


パンドラの箱に残されたものは希望ではなく、"未来"を知ることができるという不幸だった……という解釈。

ワンダラーには何もかも全部が見えてきたのなら、彼は生きていたとは言えないのではないかと思います。ただ存在していただけ。時空の狭間という悠久の海に漂うだけの存在ーー


けれども、そんな彼に初めて"問題が発生した"。永い刻の中で初めての誤算が生じた。

未来を見ることができる彼には、"自分が生き残るための選択肢"が無限に見えました。

見えたけれど……果たしてどれが1番正しいのか。生まれて初めて経験する『選択』に、彼は戸惑ったのだと思います。

結果は見える。でも、過程が見えない……だからこそ、彼は知りたいと願ったのかもしれません。選択肢を与えられたものがどのように『選択』するのかを。


デューン達にタイムズ・ギアを託したのも、使い方を教えたのもそれを見届けるため。『選択』をする基準を、方法を知りたかったから。

その結果わかったのは、デューンが語っていたように、

「おれのことを信じてくれる人がいる。その人がおれのことを信じてくれている限り、おれは自分が正しいと信じられるからだ」

ということ。作中では、仲間達がデューンの選択を信じてくれています。だからこそ、デューンは迷いながらも『選択』することができた。仲間達と一緒に判断することで、自分の『選択』は正しかったのだと納得することができた。


一方、ワンダラーは孤高の存在です。一人きりの種族。1人きりの存在……彼には、相談相手はいません。信じてくれる仲間もいません。

だから、彼は迷った。

自分の『選択』が正しいという確固たる判断ができなかったから。


きっと彼は、デューン達に判断して欲しかったのだと思います。自分の『選択』は正しかったのかを。

だからこそ、正体がバレるようなことをした。真エンディングのように彼らと対峙する道を選んだ。


真エンディングには選択肢があります。

1.ボラージュを倒す。

2.ボラージュを倒さない。


最後の最後に選択をするのはデューン達です。

1.を選んだ場合、ワンダラーの真意はわかりません。彼は、デューン達の『選択』した"よりよい世界"を見届けると言い残して姿を消します。

"よりよい"というワードは、上記した"3の道"とも重なるところがあります。

この場合は、ワンダラーは自身の『選択』よりもデューン達の『選択』こそが正しかったと思って消えていくのではないかと思います。

今後は干渉しない=ボラージュという存在もなくなり、彼は再び悠久の刻を1人で揺蕩うことになる。


一方、2.を選んだ場合、ワンダラーの口から思いが語られ、デューンもその本心に気付くことができます。

ワンダラーは最後に言います。

「私としては、この結末、そんなに悪くないと思っているがどうかね、青年?」

と。

真ラスボス戦のBGM名は「決意の狭間」。デューンたちと対峙し、自分という存在を理解してもらえたことで、ワンダラーはようやく自分の『選択』は正しかったと『決意』することができたのではないでしょうか。


きっと、ここに至るまで、彼は幾重もの時を繰り返してきたのだと思います。+NewGameの存在が暗示するように、何度目かの歴史を経て真エンディングに辿り着くのだとしたら、彼の迷いのループは、ここでようやく断ち切れるのではないかと私は思います。

ボラージュとして存在できる可能性も否定されていないので、1人きりにならない選択もできるのかも。そう考えると、彼にも救いがあるように思えて嬉しいです。


長文にも関わらず、最後まで読んでくださりありがとうございました。

作中のワンダラーとの会話も加味したらもっと違う考察になるかもしれませんが、取り急ぎ感じたことをまとめました。

ワンダラーさんもボラージュさんもより好きになれるエンディングでした。素晴らしすぎる。