2020年8月12日水曜日

とある処刑人の話

――アーサー・ダールトンの相棒は、法廷処刑人だ。

何故そんな物騒な相手と相棒かって?それは僕の仕事が法務書記官だからだ。

僕が死刑執行書類を書いて、彼が刑を執行する。

そんな付かず離れずの関係で、淡々と僕たちは職務をこなしてきた。

僕の上司の気が触れるその時までは――

 

 

コハン城の執政シグフレイの恐怖政治が始まってからどのくらい経っただろうか

その間、僕が書いた死刑執行書類の数は夥しい量になっていた。それはすなわち、バルマンテが断頭台で斧を振り下ろす回数も増しているということだ。

 今日もまた、死刑は執り行われる。断頭台の下で、僕は死刑囚の罪状を述べた。サインをした当人が言うのもなんだが、でっち上げにも程がある内容だ。実際のところは無罪だということを僕は裏の仲間たちから聞いて知っている。

……

だからこそ、見物人たちの視線は冷ややかなものだった。明確な恨みや憎しみ、時には殺意といった感情が、ただ1人の背中に注がれる。斧持ちを従えて、断頭台へ登る処刑人へと――

……?」

違和感に気付き、その方向へと目をやる。そこに居たのはシグフレイだった。全ての元凶である男は、この状況においても穏やかに微笑んでいた。不気味すぎるほど爽やかで、場にそぐわない表情だと思った。

 

やがて、バルマンテの斧が振り下ろされ、大きな鈍い音が辺りに響き渡った。次に怒号と悲鳴、幾ばくかの歓声が混じり合い、ザワザワとした耳障りな音の洪水が生まれる。

バルマンテは、民衆には目もくれず断頭台を降りてくる。彼が近づくにつれて、取り囲む人垣も誹謗中傷もまばらになっていく。

「おつかれ、バルマンテ」

「あぁ」

彼が僕の横を通り過ぎる頃には、辺りはシンと静まり返っていた。

処刑人――彼の周りだけが別世界なのではないかと錯覚するほどに、少し離れたところにある通りのざわめきとは隔絶された空気が流れていた。

去りゆくバルマンテを見送ってから、僕は、もう一度シグフレイに目をやった。

シグフレイは後処理が続く断頭台を見て、何やら思い耽っているようだった。

「?」

ぞっとするほど綺麗な横顔――それが、一瞬、全くの別人に見えたように思えて、僕は思わず目を擦った。まるで、この世のものではないかのような――

呆然と見つめていると、シグフレイがボソリと呟いた。

「君にはもっと働いてもらうよ。バルマンテくん」

その言葉を聞いた瞬間、シグフレイが伸ばした操り糸が、バルマンテに絡みつく――そんなイメージが僕の脳内に浮かんだ。

これからも、死刑囚は増えるのだろう。1人、また1人処刑するごとにバルマンテの背負う罪は膨らんでいくのだろう。

「何か言い残すことはないか」

今際の言葉を尋ねるのは、罪を、思いを引き継ぐためだという。

処刑人に罪を託すことで、罪人は天国とやらへ行けるのだろうか。

だとしたら、その罪を背負う処刑人の最期はどうなるというのか。

――バルマンテの背負い込んだ罪を背負える人はいるのだろうか、いや、それどころか――

 

 

「君は罪人なのかな、バルマンテ」

唐突な僕の問いに、バルマンテは怪訝そうに眉をしかめた。

「いきなりどうした、アーサー」

「いや、バルマンテは良く"お前の罪は俺が背負った"っていうじゃない。でもさ、よくよく考えてみたら君が人を殺すのは仕事でしょ? それって罪に入るのかな」

「帝国法に準じるならば、罪にはならないだろうな。だが……

バルマンテは、両の拳をぎゅっと握りしめた。

「命を奪っているということに変わりはない。いくら仕事とはいっても人の感情まではどうにもならない。俺のことを憎いと思うものがいるならば……少なくとも、その者にとって俺は罪人と言えるだろう」

「なるほどね、だったら」

硬く握られた彼の拳に、そっと触れてみる。

「アーサー……!?」

彼は慌てた様子で僕の手を払った。予想通りの反応にぼくはやれやれと肩を竦めて見せた。

「僕にとって、君は罪人でもなんでもないよ、バルマンテ。君は職務に忠実な人だ。それ以上でもそれ以下でもない。なんなら、そこらの名人とか言われている職人よりも遥かに優れた技術の持ち主だとすら思っている。だから――

彼がぼくの手を払った理由は予想がついた。

「自分は穢れているなんて、思わない方がいいよ。こんなにかっこいい手なんだからさ、もったいない」

……

無骨な彼の手をじっと見つめる。斧を振るう時にできる豆が幾重にも潰れ、至るところが厚く硬くなっているのが遠目にもわかる。

「僕は君の手が好きだよ、バルマンテ」

「俺みたいな男を口説いて楽しいか、アーサーよ」

そう言って顔をしかめる彼に、わざとらしくウインクをしてみせる。

「もちろん楽しいさ。大好きさ。なんなら手だけじゃなくて君自身もね」

「これ以上馴れ合うなと言っても、聞かないのだろうなお前は」

「ああ、そういえばマリオンにそんなこと言っちゃったんだって?マリオン、だいぶ考え込んでるみたいだよ」

……

マリオンの名を出した途端に表情を曇らせた彼を見て、心底思う。この男は変わった、と。

シグフレイを追う前の彼なら、こんなことで動揺はしなかったはずだ。

もっと冷淡に僕を払い除けただろうし、皮肉めいた返しもできなかっただろう。

少しずつ――少しずつではあるが、処刑人は人との繋がりを取り戻しているのだ。居心地の良さを感じているのだ。

「それで良いんだよ、バルマンテ」

僕は、彼に聞こえない程度の声でそう呟いた。

 

 

「良いわけがない――

その者は、遙か上空から彼らのやり取りの一部始終を眺めていた。

「あと二度、あと二度なのだ。それで私の正義は為される――為されるというのに。それを邪魔するものがいる。彼の者がいる限り、処刑人は緋の恩寵を得られない」

シグフレイとしての記憶に残る彼らの関係をたぐり、策を練る。

……あぁ、そうか。彼にも私と同じように"裏切り"を与えれば良いのだ。それで全てはうまく進むだろう」

その者の全身を、眩いまでの炎が取り囲む。

炎はやがて一筋の閃光となって、北東界外に降り注いだ。

 

 

「鉱山開発かあ。確かに資源の確保は大切だけど、わざわざこんな世界の端っこにまで来なくったって良いじゃないか」

あまりの寒さに、思わず愚痴が漏れる。

僕たちは今、シグフレイの噂を追って世界の果て――北東界外まで来ていた。帝国法が適用されない、僕たちから見たら未開の地だ。

だからこそ、まだ手付かずの資源が豊富で、鉱山開発が盛んに行われているというわけだ。

何が目的かは今回も全く分からないが、シグフレイもまた、鉱山開発を推進している。

あの人の目的を知るためには、僕たちもこの事業に乗るしかないというわけだ。

 

しばらく北東界外を散策していると、

「あれって何だろう?」

急にマリオンが駆け出したため、僕たちは慌てて彼女を追った。

「ちょっとマリオン、どうしたの?」

パトリシアが心配して声をかける。すると、

「見て見て!!すっごく綺麗!!」

マリオンはその大きな目をキラキラと輝かせてある一点を指差した。

「これは――

マリオンが指差す先にあったのは、外気温にはそぐわないほど満開に咲き誇る桜だった。

真っ白な雪原に、鮮やかなピンクの花びらが映えて、思わず目を奪われる美しさだ。

「ねえバルちゃん!すごいよ!見て見て!!」

つい先日まで塞ぎ込んでいたとは思えないほどのはしゃぎっぷりを見せるマリオンを見て、僕は内心ほっとした。マリオンはこうでないと困る。

「あぁ、確かにこれはすごいな」

「でしょ!もっと近くまでいこうよ!……って、あ」

マリオンはいつもの調子で手を差し出したが、慌てて引っ込めようとした。先日の会話を思い出したのだろう。

「ご、ごめんね、バルちゃ……?」

……え?」

予想外の光景に、僕も、当のマリオンも目を丸くした。

バルマンテが、マリオンの手を取ったのだ。

「そうだな、行こう、マリオン」

「え?え?えっと……

マリオンは顔を真っ赤にしてきょろきょろと僕らの顔を見た。僕はもちろんのこと、パトリシアもロバートもアイザックも、あの表情をなかなか崩さないクローバーですらぽかんと口を開けてこのレアなイベントを見つめている。

「あぁ、すまん、つい――

周囲の空気を感じ取ったのだろう、バルマンテは繋いだ手を離そうとした。

「だめ!」

マリオンは、反射的にその手を強く握り返していた。

「だめ!だめだよ!あのね、その……このまま、このままがいい!」

まるで迷子が母親を見つけた時のように、必死にバルマンテの手を掴んで離さない。

「わかった」

バルマンテが頷くと、ようやく落ち着いた様子でマリオンは力を抜いて笑った。今までに見たことがないくらい、純粋な笑顔だと思った。

大男とギャル、処刑人と恋多き女――どう形容したって不釣り合いな2人が、手を取り合って万年桜へ近づいていく。その様は、あまりにも浮世離れしているというか、にわかに信じがたいとでもいうか。

「あの2人に、いったい何があったのでしょうか」

パトリシアですら、この状況に目を白黒させている。

「きみにわからないものが、僕にわかるはずないだろう。ただ――

無邪気に喜んでみせるマリオンに向けられたバルマンテの目は、とても優しい色をしていた。

「デートをすっぽかした埋め合わせみたいなものなんじゃないかな」

「デート?どういうことですか、それ」

きっと、きっとの話だ。ここからは僕の推測にしかすぎない。

ここ――北東界外は、バルマンテにとって夢の国のようなものだ。

ここには、彼を罪人だと定義づけるような者も、偏見の目で見る者もいない。

だからこそ、彼はマリオンの手を取ることができたのだ。じゃなければ、先日の僕にしたように手を払おうとするはずだ。

数日前にマリオンを突き放したことへのお詫びももちろん含まれているのだろうが、それ以上に――

「処刑人じゃなければ、こうしたかったんだろうと思うよ」

処刑人と親しくすることで、本当に辛いのはマリオンでも僕でもない、バルマンテ自身なのだろうと思う。

彼は、"自分の仕事に支障が出る"と言ったという。それはすなわち、マリオンに好意を抱いているということだ。少なからずぼくたちに仲間意識を持っているということだ。

殺すことを躊躇ってしまったら、憎まれることを恐れてしまったら、処刑人の職務は務まるわけがない。だから彼は、遠ざけるという形で自己防衛をしているのだ。

 

「夢の中のデート……か。風情はあるけど儚いね」

開発が進んでいけば、きっとこの地にも処刑人の噂は広がることだろう。

「わぁっ!」

急な突風に、桜の花びらが鮮やかに舞い上がる。

満開に咲く桜を見つめる2人の背中が、桜の花びらにかき消されて見えなくなっていく。

それはまるで、いつか来る目覚めの刻を暗示しているかのようだった。

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