ひとしきり北東界外を巡り鉱山開発を終えた頃には、坑道は15箇所にまで増えていた。
ぼくたちが開発を進めるにつれてこの地の精霊力は弱まり、魔物たちの気配が濃くなっていった。おそらくはこれがシグフレイの狙いなのだろう。
「ひぃ!魔物が!!魔物が!!」
坑道の近くを通ると、その度に坑夫たちの悲鳴が耳につく。
「そんなの、ほっといてもいいんじゃないの?」
僕としては面倒ごとには首を突っ込みたくなかったけれど、
「そういうわけにもいくまい」
自分が招いた結果という自責の念があるのだろうか、バルマンテは一つ一つの坑道を周り、発生した魔物を退治して行った。
そんなわけで、宿に到着した頃には日はとっぷりと暮れていた。
ひたすら歩き回り、戦い尽くし、ボロボロになったぼくたちに、
「ありがとう、みんな」
バルマンテが深々と頭を下げた。
「?」
みんなが呆気に取られる中、バルマンテは一人一人の顔を見回してから続けた。
「明日は、とうとうシグフレイとの直接対決だ。この地では、シグフレイを告発する者も、裁く者もいない。俺も、ここでは処刑人ではない――」
覚悟を決めたかのような、バルマンテの表情。
(――なんだ、この感じは)
彼の言葉を聞いた時、何故だか心がざわめいた。
「俺自身の手で、奴の企みを止める。……それでも、手を貸してくれるか?」
ザワ…と空気が波打ったのが肌で感じられた。
「もちろんだよ、バルちゃん!」
と即答する者も居れば、
「全く、そんなの関係ありませんよ。ここまで着いてきたんですから」
と呆れたように肯定する者もいる。
次第に同調の雰囲気が流れる中、僕はというと、返答できずにいた。
「どうした、アーサー?」
僕の様子がおかしいことに気付いたのだろう。ロバートが小声で僕に問いかけた。
「……ちょっと疲れただけだよ、おやすみ」
「お、おい」
引き留めようとするロバートの言葉を振り払い、自分の部屋へと向かう。みんなの視線が、背中に突き刺さるのを感じる。その中にはもちろん、バルマンテのものもある。
「……アーサー」
バルマンテが、小さな声で僕の名前を呼んだのが聞こえた。
一瞬――一瞬だけ、立ち止まりそうになったけれど。振り返りそうになったけれど。
「おやすみ、みんな」
気にとめない振りをして、僕は足を進めた。
※
「告発するものも、裁くものもいない――か」
ベットに寝転び、バルマンテの言葉を反復する。
裁くもの――それは自分のことだ。
告発するものがいて、僕がいて、処刑人――バルマンテがいる。
そうやって、数えきれない程の罪人を処刑してきた。シグフレイに関しても同じことだ。
それが僕らの仕事だから。
「でも……」
僕は、自分の頭の悪さを呪った。
バルマンテの言う通りだ。ここでは、バルマンテが処刑人ではないように、僕も法務書記官ではないのだ。
これまでと同じようにはいかない。告発人が居ない中――罪状を読み上げられない中で、僕はあの人と戦えるのか?1人の人間として向かい合えるのか?
(アーサーくん)
耳元であの人に囁かれているような気がして、ぞくりとした。
(君に、私が殺せるかな)
バルマンテは、処刑ではなく私刑を実行しようとしている。それはもはや、僕らの仕事の範囲外なのではないか。ただの執着でしかないのではないか。そんな考えが頭をぐるぐると巡って、まとまりがつかない。彼の手を引いて来たのは自分だというのに。
「僕は……」
「君に私は殺せないだろうね、アーサーくん」
「……!?」
ハッキリと、その声が聞こえて慌てて体を起こす。
「何で…何であんたがここにいるんだ?」
カチカチと震え出しそうになる奥歯を無理やり噛み締めて、言葉を絞り出す。
「なんてことはない。どうしても君と話がしたくてね」
恐ろしいほどに落ち着いた綺麗な声で、彼は言う。
しかし、この男は、何の音も立てずにこの部屋に現れたのだ。
それどころか、既に五度首を切り落とされたというのに、六度復活し、こうしてにこやかな微笑みを浮かべている――人ならざる存在であることは明らかだった。
「……」
ベットから降りて距離を取ろうとするも、蛇に睨まれたカエルのようにうごけない。
「アーサーくん、私の言い残した言葉を覚えているかい?」
「……」
"私は七度蘇り、正義を為すよ“
バルマンテに首を落とされる前、まだ人間であったはずのシグフレイは確かにそう言っていた。あの時の酷く満足げな表情が、目の前にいる男に重なって見えた。
「何故、七度だと思う?」
「……」
「君は、既に気付いているはずだ。だから、素直に恐れ、怯えている」
「……ファイアブリンガー」
この世界に住んでいて、邪神の名を、その伝説を知らないわけがない。
星神を裏切り、追放された邪神は1000年に七度巡りくる――それが、語られた伝説。この地に刻まれた歴史。
「まさか…まさか、あんたとファイアブリンガーに何か関係あるとでも言いたいのか?七度の巡りは終わった。邪神は砕け散った。既に終わっていることだろう!?」
理屈ではわかっている。わかっているんだ。
けれども、寒気が治らない。心臓が激しく動悸する。
まさか、いや、まさか、ありえるというのか、そんなことが。
「砕け散った緋の欠片は、今もなおこの地に残っている」
シグフレイがゆっくりと右手を掲げると、それに呼応するようにして周囲の景色が赤に転じた。
「――――!?」
「これが、緋の欠片だ」
声が、出なかった。
周囲を、空を埋め尽くすように赤く輝くモノは、世界中に散り散りになった緋の欠片の幻影のようだった。その圧倒的な数に、僕は完全に気圧されていた。
その中でも、一際鋭い光を発する欠片があることに気付く。僕の意思に応じるように、その他の緋色の欠片たち全てがその一点に集結し、赤色の洪水が弾けた。
「これって、あんたが――」
ただ一つだけ残った緋の欠片は、シグフレイがバルマンテに託したペンダントだった。
「これには、私の死が刻まれている。この世に復活してから今までに五度私は彼に処刑された」
シグフレイが指折り数える度に、ペンダントは処刑の間際の光景を映し出す。血の赤と、緋の欠片の赤い光とが融和し、
(美しい――)
僕は不覚にも、そう思ってしまった。
「死を刻むたびに私の復活は近づいている。そして、彼――バルマンテくんもまた、人の域を超えた存在に近づく……はずだったのだ」
「人の域を超えた存在……?」
「君たちの言葉で言えば、皇帝と称するのが1番近いかもしれないな」
「待てよ。それじゃ、これまで僕らがしてきたことは……」
皇帝と邪神――それらの単語が揃った瞬間、恐ろしい仮説が僕の頭によぎった。
「七度巡りくる邪神を、皇帝が討ち滅ぼす……その歴史を、僕たちは、バルマンテはなぞっていたとでもいうのか!?」
「さすが君は頭の回転が早い――その通りだ、アーサー・ダールトン」
声のトーンの変化にはっとして、ペンダントからシグフレイの方へ目を向ける。
「……誰だ、あんたは」
そこにいたのは、シグフレイであって、シグフレイではない何かだった。いつかの断頭台で見たあの表情と同じ――
「君は、私が何者かもう気付いているはずだ」
シグフレイの輪郭が、陽炎のように揺らめく。まるで、炎をまとっているかのように。
「あと二度なのだ。あと二度で、彼はあの時の皇帝と同じだけの――いや、それ以上の格を得る。わたしの恩寵を得るにふさわしい、理想的な人がこの世に生まれるのだ。だが――」
シグフレイの姿をした何かにきつく睨まれて、僕は思わず肩を震わせた。
「邪魔者が現れた」
背筋に冷たい汗が流れる。逃げ出したいはずなのに、その目に影を縫われたかのようにうごけない。意識がはっきりしているのに、体が言うことをきかない。
「それが君だ。君がいる限り、彼は一線を超えることはできない――それでは困るのだ」
何かの手がゆっくりと僕に向かって伸ばされる。何の抵抗もできないまま、熱を帯びた掌が僕の額に触れた。
「君には、裏切り役を演じてもらう。これで舞台は整う。わたしの正義が為されるのだ」
頭の中で、何かの声と、シグフレイの声とが重なって聞こえた。いや、それどころか――
(これからは、お前が――)
自分の声すらも重なって、視界が赤く覆われて――
※
「行こう、アーサー」
そう告げた瞬間のバルちゃんの顔は、忘れられない。
あまりにも、自然に出た言葉だと思えた。
どこからか、アーサーの軽い言葉が聞こえてくるように思えた。
けれども、アーサーは居ない。
バルちゃんの隣に立つべき人は、ここにはいない。
※
アーサーの様子がおかしくなったのは、北東界外でシグフレイと直接対決した頃からだった。
「僕は、行けない」
と頑なにシグフレイと戦うことを拒む彼に、あたしたちはかける言葉がなかった。肯定することも、否定することもできなかった。
何故なら、
「――わかった。お前の決めたことだ、仕方あるまい」
と、バルちゃんが余計な詮索をしなかったから。
誰よりもアーサーの本音を聞きたかったのはバルちゃんのはずだ。それを部外者であるあたしたちが聞くのは無粋な行為だった。
結局、アーサーとはそれっきりになった。
北東界外でシグフレイを打ち倒し(消えてしまったから、死んだかどうかはよくわからなかったけれど――)、しばらくすると、パトリシアが七度目の復活の知らせをあたしたちに持ってきた。その場所は、アスワカン。
旅立ちの前夜、バルちゃんは久々にアーサーと何かを話したらしい。
あたしたちは、その内容を知ることはできない。できないけれど――
中央星神殿の階段の前で、アーサーの名前を読んで目を伏せた様子からも、彼が居ないという現実を受け止め切れていないことは、痛いほどわかった。
「わたしたちでは、代わりにはなれないのね――」
先陣をきって階段を登っていくバルちゃんの背中に向けて、パトリシアが寂しそうに呟いた。
「そう、だね」
結局、あたしたちはバルちゃんとともに歩むことを決めた。ロバートは最後まで躊躇っていたけれど、アーサーに裏切られたように感じたのがよっぽど辛かったのだろう。それを振り切るようにして旅に同行した。
あたしたちとバルちゃん。これまで一緒に旅をしてきたはずなのに、その間には乗り越えられない壁があるように感じられた。
「……アーサーのバカ」
今もなお、バルちゃんの隣に残るアーサーの影を垣間見たように思えて、あたしは思わず鼻をすすった。
階段を上り切ったところで、バルちゃんは立ち止まった。
「?」
何故進まないのか。と不思議に思いながらも少し遅れて到着し、その理由を知る。
「遅かったね、バルマンテ」
バルちゃんの目の前に立つ人物を見て、あたしたちは声を失った。
だって、それはどう見ても――
「……アーサー?」
その名を呼ぶバルちゃんの目は、戸惑い、揺れていた。
※
全ての戦いが終わった。
信じられないことの連続だった。アーサーの裏切り、伝説の邪神との対峙――
最終的に邪神は砕け散り、後にはスカーレットグレイス――真っ赤に輝く緋の恩寵のみが残された。その輝きに,思わず目を奪われる。
「スカーレットグレイス……」
これがアーサーを狂わせた要因なのかと思うと、美しいというよりも禍々しい光にしか思えなかった。
「残念だったな、アーサー」
その言葉にハッとして我に帰る。
確かに邪神は倒した。でも、まだ終わっていない――裏切りの断罪はこれから始まるのだ。
スカーレットグレイスを背後に携えたバルちゃんが、アーサーと対峙する。
アーサーはというと、膝をつき息も絶え絶えな状態だ。そんな彼に、バルちゃんが宣言する。
「スカーレットグレイスには俺の方が相応しいようだ。新しい帝国は俺が作るぞ」
思わず耳を疑った。バルちゃんの口からそんな言葉が出てくるなんて思いもしなかった。
「何か言い残すことはないか?我が皇統の末代まで語り継いでやろう」
目の奥がじんじんと酷く痛む。いったい、あたしは何を見ているの?
あれは――アーサーを冷たく見下すあの人は、本当にバルちゃんなの?
「最初から、こういうつもりだったのか!何も知らない振りをして」
アーサーが声を絞り出す。彼が必死に差し出した手を軽く蹴り払い、バルちゃんは続ける。
「そうではない。だが、お前に利用されるのは面白くないからな。逆手に取ってやったら、こういう結末だ」
バルちゃんは、横に突き刺したままにしておいた斧の持ち手に手をかけた。
「感謝しているぞ、アーサー。お前は、親友と呼べる男だった」
鈍く冷たい光――持ち上げられた斧の切っ先がアーサーへと真っ直ぐ向けられる。
「バルマンテ……」
アーサーの声も、バルちゃんには届いていないようだった。
どういうこと?これじゃ、このままじゃ――
(処刑人に、あまり関わるもんじゃない、マリオン)
あの日のバルちゃんの言葉が頭に響いた。
(俺の仕事に差し支える。お前の知人や、お前自身を処刑する日があるかもしれない)
そう言われた時は、具体的な状況を思い描けなかった。まさかバルちゃんが……なんて、考えれば考えるほどに悲しくなって、それ以上考えることを放棄してしまった。
それども、
(今が、その時なんだね)
もしもの可能性が、目の前で現実となっている。
バルちゃんは本気だ。このまま、アーサーの首を斬り落とすだろう。
「さらばだ」
訣別の刃が、無情にも振り下ろされる。
「ダメぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
思わず、飛び出していた。アーサーを庇うようにして、2人の間に割り込む。
「!?」
「マリオン!?」
装備していた斧で、間一髪ガードする。激しい衝撃であたしの斧が吹き飛び、手にはジン……と強い痺れが残った。
「こんなの……こんなのおかしいよ!だって、アーサーだよ!!」
バルちゃんを真正面から見据えて、あたしは叫んだ。声の限り叫んだ。
「殺したら、絶対後悔する!!これは処刑とは違う……ただの人殺しだもの!!」
なぜ、あの時バルちゃんがあたしに親しくするなといったのか――今ならその理由がわかる気がした。バルちゃんは、あたしやアーサーのことを仲間だと思ってくれたのだ。殺したくないと、憎まれたくないと思ってくれたのだ。
「マリオン、そこをどけ」
淡々と言い放っているようで、バルちゃんの声には多少の動揺が混じっていた。
まだ、可能性はゼロではない。
「アーサー!無事か!!」
金縛りから解けたように、ロバートを筆頭に護衛団のみんながアーサーを取り囲む。
当のアーサーはというと、気を失ってぐったりとしている。おそらく、もう無理だと心の糸が切れてしまったのだろう。
先ほどまでとは、形勢逆転。バルちゃんとあたしたちとが対峙する形となる。
「バルちゃん……」
スカーレットグレイスに赤く照らされたバルちゃんの顔が、寂しげに揺らいだのをあたしは見逃さなかった。
「みんなで、帰ろうよ」
彼の本質が変わっているはずがない。アーサーと彼が積み重ねてきたものが、こんなことで負けるわけがない。
「思い出して。これまでみんなと、アーサーと過ごしてきた日々を。このままじゃ、1番辛いのはバルちゃんだよ」
睨み合いは、続く。
絶対に、彼にアーサーを殺させるわけにはいかない――その一心であたしは邪神の最後の意思に立ち向かった。
※
(なぜ躊躇う、バルマンテ)
先ほど、宙に散ったはずの邪神の声が、俺の頭に響いた。
(お前は、私を受け入れる覚悟を決めたはずだ。この力を持ってして、星神の支配を打ち倒し、人の世を作り出せ。この処刑こそが後世まで続く歴史の礎となるのだ)
――それが、お前の描いた筋書きか。シグフレイのこともアーサーのことも全てお前が……?
俺は、心の中で問いかけた。
(そうだ。そしてバルマンテ、お前を主人公に据えた)
――なぜ、俺なんだ?
(……)
邪神――ファイアブリンガーはその問いには答えようとしなかった。代わりに、俺を追い立てるように、急かすように言った。
(あと少しで、お前はスカーレットグレイスを得ることができるというのに――なぜ、我が導きの光に従わぬ?今更何を恐れることがある?)
――俺は……。
つい先ほどまで荒ぶっていた感情は、息を潜めていた。
アーサーの裏切りを、あれほど――殺したいほどに憎く感じていたというのに。目を背けたくなるほどに心が引き裂かれていたというのに。
間に割って入ってきた時の、マリオンの必死な表情が思い出される。今もなお、俺を真っ直ぐに見据える覚悟と決意が入り混じったあの目を見ていると、手にした斧を握り直す気にはなれなかった。
(お前は――あの男の裏切りを許せるというのか?)
――許す、か……それはまだわからない。
正直、裏切られた痛みはすぐには消えない。それは取り返しのつかないことだ。
――だが、やり直したいとは思う。
(やり直す……?)
――あいつと、アーサーと過ごした日々は嘘ではない。紛れもない事実だ。それまで否定したくはない。
(……)
しばしの沈黙の後、
(私は――)
ファイアブリンガーは、ポツリ、ポツリと語り始めた。
(お前に、我が願いを託したかった。私ができなかったこと――星神を打ち倒すこと、この世界を平定すること、その全てを――)
スカーレットグレイスが、淡く光り、過去の光景を映し出す。
そこには、ファイアブリンガーと十二星神が手を取り合い、共に冥魔と戦う姿があった。
驚きに目を見張る俺に、原初の火の神は、どこか寂しげに言った。
(裏切られても、もう一度手を取り合う――か。それもまた、わたしにはできなかったことだな)
※
「何か言い残すことはないか」
バルちゃんが、再び斧を振りかざす。
「絶対にやらせんぞ!アーサーは今度こそおれが守る!」
ロバートがアーサーの前で盾を構える。それに倣うように、護衛団のみんなが臨戦態勢に入る。
「バルちゃん……」
武器を持てないあたしは、ただ見守るしかできなかった。だからだろう、
「え?」
その行動に真っ先に気付き、あたしは驚きの声をあげた。
斧が鋭く空気を引き裂く音に続いて、
パキィぃぃぃ……
ガラスが割れるような甲高い音が周囲に響き渡った。
細かな赤い欠片が飛び散り、空間に溶けていく。
その場に居た誰もが目をまん丸に見開いて呆気にとられる中、スカーレットグレイス――緋の恩寵を打ち砕いた彼が、ゆっくりと振り返って言った。
「帰ろう、みんな」
※
どんな顔で、彼に会えばいいのだろう。
正直な話、彼が僕に向かって斧を振り下ろしたところから記憶はない。
いや――正確には、北東界外でシグフレイと対峙した時から記憶は曖昧だ。全てが夢のようで……でも。
「全部、現実なんだよな」
いくらファイアブリンガーに利用されていたとはいえ、彼を裏切ったのは紛れもない事実だ。そんな僕のことを、彼が許してくれるのだろうか、受け入れてくれるのだろうか。
「いいですかアーサー。彼はあなたを殺さなかった。この事実を決して忘れないでください。」
「バルちゃんなら大丈夫だよ。ちゃんとお話ししてきてね」
「何かあったらおれが守る。だから、安心して行ってきな、アーサー」
パトリシアやマリオン、ロバートはそう言ってぼくの背中を押してくれた。
けれども、気が重いものは重い。バルマンテのあの冷たい目を思い出すだけでぞくっとした。
「……」
重い足を引きずりながら約束の場所に向かうと、すでに彼はそこに居た。
「アーサー、もういいのか」
コハン城に、風が舞う。
久々に聞いた彼の声は、記憶に残るどの声よりも優しくて、穏やかなものだった。
※
「それじゃ、また、いつか――」
そう言い残し、バルマンテに背を向けて歩き出す。
「これからは、俺たちが自ら物語を紡ぐ番だ」
別れ際のバルマンテの言葉が頭をよぎる。
「僕の物語……か」
今回のことで、僕は全てを失った。バルマンテの隣に立つ資格も、最後まで付いてきてくれる信頼できる仲間も。
そんな僕が描く物語は、誇れるような美談にはならないだろう。バルマンテの歩む物語とはかけ離れたものになるだろう。
「例えそうだとしても――」
再び、僕らの道が交わる時は来るだろうか。
いつか胸を張って、彼の隣に立てる時が来るだろうか。
限りなくゼロに近い可能性に苦笑いして、それでもなお僕は未来を思い描いた。
end
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