2020年5月31日日曜日

最強トライアングル派閥

過去の映像や自分が描いた創作物を見返していたら、好きという気持ちが再燃し過ぎて描いたもの。決して嘘は描いていない(・∀・)
2009年の稲抱っこはいったい何のためのパフォーマンスだったのか未だに謎です。あまりにも自然に稲葉さんが稲田を抱っこしてベンチに戻っていくから、目が点になったのを覚えている。
始まりは確かマリンスタジアムで、その後札幌ドームでも数回やっていた…はず。

私は盲目な稲田ファンでしたが、どの稲田ファンよりも稲田推しだったのは稲葉さんだと思います。仲良しアピールが半端なかった。
稲田が横浜にトレードされた年(2010年)に稲葉さんが時折、稲田の登場曲を流してバッターボックスに入ったのはさすがにやり過ぎだとは思ったけれど……。

思い返した「好き」っていう感情だけで創作物が描きたくなるのは、よっぽど好きだった証だなと思う。それだけ彼らの関係性が自分の理想と一致していたんだなとしみじみ。

2020年5月30日土曜日

過去のLIVE映像を見つつ


変わったのはバンドなのか、それとも自分なのか。
MERRYのLIVE映像を見返すたびに、そう自問自答している自分がいます。

映像の中の彼らは、紛れもなく私が大好きだった頃の彼らで。
曲や音を聴いていると自然と気持ちが高まるし、心をぐっと掴まれます。

こんなにも惹きつけられることを踏まえると、わたしの感性は当時のまま変わらないのだろうと思います。初期のエログロ路線も好きだし、レトロックも好き。
MERRY時代の曲や音に至っては最適という程に心に馴染んでいて、安心すら覚える。

となると、バンドの変化について行けなくなったというのが正解。
どれだけ楽しい思い出があったって、大好きなものを与え続けてくれたバンドだからって、自分の感性を変えてまで付いていくことはできませんでした。

バンドの屋台骨となる楽曲が合わなくなったのは、正直苦しかったです。
それまでは新曲が出るたびに衝撃を受けて、「さすがMERRY!!」と惚れ直していたのに、ある時を境に「何かしっくりこない」という違和感を覚えるようになりました。

歴代の推しとの別れも似たようなもので。
噛み合っていた歯車がずれ始めたところから終わりが始まります。
Janne Da Arcの時は、活動休止という形で歯車は止まり、最終的にはメンバー自身の手で破壊されました。
稲田さんの時は、引退に伴って歯車が撤去されました。

不思議にというか、ありがたいというか、推しが居ない期間というのは長く経験したことがなく、前ジャンルから上がっても比較的早く次のジャンルに渡ることができています。

唯一の例外は稲田さんの後。
それまでは好きを上書きしていく形での移動だったのですが、稲田さんに関しては好きがピークのまま終わりを迎えたので、しばらく放心状態でした。
「これ以上好きになれる相手に出会えるのか」
「いつまで空っぽな気持ちのままでいれば良いのか」
と不安に思うほど。……だったのですが、何気なく購入したMERRYのLIVE DVDがカッコ良過ぎたことで状況が一変しました。

推しができるきっかけやタイミングは自分にもよくわからないもので。
無理して好きを作ろうとしても上手くいかず、気づいたら好きになっていることが多いです。そういう意味では、この想いは恋愛感情にも似ているのかもしれません。

現在居るジャンルは、好きという意味で言えば幼少期からだから、惚れたというよりは好きで居るのが当たり前という感覚です。
だから多分上がるとかそういうのは無くて。この先、他に好きな対象ができたとしても、並行して好きであり続ける存在なのだと思う。

2020年5月25日月曜日

好きな曲について語りたい。

ムック「百合と翼」
『壊れたピアノとリビングデッド』収録曲

ムックは,”時期”によって評価が分かれるバンドだと思います。

初期…密室系(痛み,絶望,苦しみ,停滞,孤独)
中期…ロキノンより(やさしさ,希望,救い,変化,許容,絆)
現在…ラウドより(いろいろごちゃまぜおもちゃ箱)

本当はもっと複雑なのだけどざっくり分けると個人的にはこんな印象。
私は,初期に惹かれ,中期にはまり。
現在は「かっこいいけど,しっくりこない曲もあるなぁ」と思う程度に曲を聞いています。

今回取り上げる「百合と翼」は2019年に発売された現在にあたる曲。
初期,中期,現在と,あげたキーワードだけをなぞると一貫性のないバンドのように思えますが,音楽性に関してはしっかりとした一貫性があります。
その最たる例が,哀愁ただよう歌謡曲要素を含んだ楽曲たち。
「百合と翼」はまさにその系統の曲。新しいのだけど,懐かしさも感じさせてくれる。
歌詞や音にも過去の積み重ねが感じられて,生きることの苦しみを否定はしないけれど,未来へ進んでいくための確かな希望を歌っているように感じます。

こういう楽曲が逹瑯の歌声の魅力を一番引き出してくれると思う。すっと心に落ちてきて心地良くなれる。
今でもこういう曲を聴けることが嬉しい。ムックはふり幅が大きいから合わない時は本当に合わないからなぁ……。

THE BACK HORN「ハナレバナレ」

新譜を発売するたびに期待通りの楽曲を届けてくれるバンド。
私にとってはそれが,THE BACK HORNです。

ここ数年のヒット率は高く,「悪人」からの『運命開花』の流れで最高潮に達したかと思えば,「ハナレバナレ」の疾走感と純情さに心をつかまれ,「心臓が止まるまでは」のバクホンらしさ全開の世界観に引き込まれ,最新アルバムも期待通りの出来で幸せな気持ちで聴いています。
もうとにかくかっこよくてかっこよくてたまらない。「悪人」や「美しい名前」を生で聞いた時は,ただただ圧倒されて動けなくなった。

「ハナレバナレ」は小説とコラボレーションした曲。
私は小説の方は未読なのですが,この「ハナレバナレ」という曲自体が短編小説のようになっていて,曲の展開に合わせてお話の映像が疾走感を伴ってありありと浮かんできます。中でも,

何千何万回 想いを伝えたって
足りないのなら 抱きしめるから
今すぐ会いたくて走り出すなんて
今時 恋愛小説でも無いよって笑っておくれ

の部分の盛り上がりは,音楽という形態だからこそ実現できた表現だと感じます。主人公の心音の高鳴りや息遣いまで届いてくるよう。創作物のはずなのに,嘘偽りのない心が歌われているみたい。

2020年5月13日水曜日

I'm not BOY.

「誰だって、BOYを捨てるときがくる。」
これは、1998年に発売されたとある携帯ゲーム機のキャッチコピーです。

「1998年」「携帯ゲーム機」「BOY」
当時、ポケモンブームに乗ってゲームボーイとその市場は盛り上がりを見せていました。そんなゲームボーイに真正面から(?)喧嘩を売った携帯ゲーム機。それがネオジオポケットです。

ネオジオという名称からわかるように製作・発売元はSNK。
ファミ通を読んでいた方ならば、「水木しげるの妖怪写真館」が出たハードとして知っている方も多いかと思います。油すましのベストショット…。
懐かしくなって調べてみたら、チップス小沢さんのTwitterアイコンになっていました。これがあの有名な油すましのベストショットww

うっかり話が逸れてしまったので、本筋に戻ります。
ネオジオポケットの歴史を簡単に振り返りますと、

1998年10月にモノクロ版が発売したかと思いきや、
その半年後の1999年3月にカラー版が発売。
さらにその7ヶ月後には小型・廉価版が発売され、
2001年のSNK倒産とともにその役割を終えたハードです。

その不遇さは、当時のSNKの迷走っぷりを体で表すものだったと思います。ハイパーネオジオ64、ネオジオランドと合わせて、SNKの負のスパイラルの一つとも言えるかもしれません。

……というのは、一般的なイメージからのネオジオポケットのお話。
ここからは、わたしから見たネオジオポケットのお話です。

当時のわたしはSNK信者でした。
信者……というか、盲目と言ってもいいほどのめり込んでいて、愛読書はネオジオフリークとノベライズ小説(ファミ通文庫)。部屋にいる時にはサントラやドラマCD、ネオジオDJステーションやねおちゅぴを好んで聴きつつ家庭用移植ゲームをプレイし、ゲームセンターに行くと必ずネオジオの筐体を確認して回るほど大好きでした。

ただ、その好きはちょっと邪なもので。
SNKのゲームが好き!という以上に、魅力的なキャラと設定に惹かれていましたキャラをアイドル視していたというか……。
ただ、当時はSNKがそれを煽っていたことも事実だと思います。
バンドオブファイターズとか公式であったし、ネオジオDJステーションライブとか実際にしてたし。庵に至っては、オリジナルストーリーで舞台も開催していました。
派生作品に関しては、ためらいを焼き尽くしつつ腰抜けどもは消え失せて夕陽と月を歌える程度にはどっぷり浸かっています。ぶっちゃけ夕陽と月は名曲なのではなかろうか。
さらに言うとギース様の帰依はまごうことなき神曲。リアルバウト餓狼伝説のストーリーを受けて聴くと涙腺が緩みます。ハワードコネクション大好き。

また話が脱線してしまいましたが、わたしがいかにSNKキャラのことを好きだったかというのはわかっていただけたことと思います。
気を許すと別のことを語りたくなる。さすがはSNK…!

奇しくも時は、1998年。そう、あの名作「KOF'98」が封切られた年です。
'94以来の純粋なお祭りゲーム感と、ゲームバランスの良さに夢中になりゲームセンターに通ったことを覚えています。わたしの中でKOFが一番熱かった年です。

そんな時に、ネオジオフリークを読んでいて目に入ったのが、ネオジオポケットでした。
"ネオジオ初の携帯ゲーム機。"
という売り文句以上に、
「この値段なら、買えるかも!!」
という期待にわたしの胸は高鳴りました。

そう、ネオジオというハードは高いことで有名でした。
ゲームセンターそのままのクオリティが家庭でもできる。その見返りはとても大きく、本体価格約50,000円&ロムカセット30,000円超え。
当時のわたしに買えるわけがなく、ファミ通の通販記事を見ては「欲しいなぁ…」と思いを募らせていました(ネオジオCD-Zも価格とロードの長さがネックでした…)。

それに比べ、ネオジオポケットの価格は7,800円。
ネオジオと名のついたハードが携帯機とはいえ買える。その事実が嬉しかったのです。
……が、買おうかどうか迷っている間に、カラー版が出るという情報を知り、そちらを選ぶことに。

待ちに待ったネオポケカラーの発売。本体と同時にKOF R-2を購入しました。
携帯ゲーム機とは思えないほどにカチカチと小気味よいスティック。ボタンは2つと少なかったですが、格ゲーをするのに苦はなく、KOF'98のデフォルメ版を携帯機で快適にプレイできる環境に満足していました。
その後、サムライスピリッツ!2も発売され、アスラ斬魔伝(ハイパーネオジオ64だったため、地元のゲームセンターではプレイできず)でしか使えなかったキャラが使えることが嬉しくてひらすらプレイしていたことを覚えています。

カラー画面は綺麗で、操作性も良い。さらにはドリームキャストと連動もできる。毎月ネオジオフリークで新作情報が見れることもあり、根っからのゲームボーイっこだったわたしは完全にネオポケユーザーに鞍替えしていました。

そして1999年の10月。とうとう夢のソフトが発売されます。
二大格ゲー会社の初コラボ作品、「SNK VS CAPCOM激突カードファイターズ」です。

「一作目が格ゲーじゃないのか。」というツッコミもありましたが、このカードゲームがとにかく面白かった。
SNKキャラとCAPCOMキャラのカードのイラストは可愛くて魅力的。キャラの能力や援護システムやアクションカードはそれぞれのキャラの特性を活かしたものでした。
カード総数は300枚。そのため、格ゲー以外のゲームや、マイナーどころまでカード化されていたのです。まさにSNK VS CAPCOMの名に恥じぬラインナップと言えます。

自分の好きなキャラでデッキを組むもよし、性能でデッキを組むもよし。カードのコレクション要素もあり、夢中になってプレイしました。おそらく、ネオポケで一番プレイしたゲームです。
あと良かったのが、閑丸とリムルル(修羅)がお互いに援護しあえること。それだけでカップリング好き的には大満足できたんだから恐ろしい。サイトロンのドラマCDといい、この時期は半公式だったと思うんだ…。

さらにその二ヶ月後には、待ちに待った格ゲーver「頂上決戦最強ファイターズ SNK VS CAPCOM」が発売。おそらくはこの時がネオジオポケットのピークだったと思います。

デフォルメとは言え、夢の戦い。月華の剣士やヴァンパイアからも参戦キャラがいたことが嬉しかったです。プレイヤーキャラに選ばれなかったキャラも、ちょこちょこ出てきたりしてお祭りゲー感が強かったです。

格ゲー部分以外にも作り込まれていて、オリンピックモードでは様々なミニゲームを遊ぶことができました。このミニゲームが面白かった。そして、SNK側のマネージャーがリムルルというところがポイント。
大事なことなのでもう一度言います。SNK側の進行役、マネージャーがリムルルなのです。

リムルル好きのわたしは歓喜し、ひたすらオリンピックモードに居座っていました。
ミーティングコマンドでリムルルと会話ができる上に、リムルルの好感度が上がると時折閑丸の話題を出してくれるという神対応っぷりに、幸せの方が頂上に達していました。

時はすぎ、2000年代に突入します。心が離れるきっかけとなったのは、1999年末にPSで発売されたサムスピ新章にありました。
餓狼伝説は3Dから、餓狼MOWという名作で巻き返したというのに、なおも迷走するサムスピについていけなくなってしまったのです。
気づけばゲームをプレイすることも少なくなり、ネオジオポケットも埃をかぶるようになり……これは今でも後悔しているのですが、最終的にはソフト毎売り払ってしまいました。
大好きだったからこそ、離れる時の気持ちの落差は激しいものでした。

わたしが距離を取るようになってからも、SNKの迷走はすでに取り返しがつかないところまで進み、2001年の倒産を迎えます。
大好きな状態のまま終わりを迎えていたとしたら、より辛かったのだと思います。距離をとっていても、辛いことに変わりはなかったのだから。
そういう意味では、自己防衛が働いていたというか、終わりの匂いを嗅ぎ取っていたのかもしれません。

さて、そんな不遇な時を過ごしたネオジオポケットですが、最近では、「サムライスピリッツ!2」や「ギャルズファイターズ」など、Switchで復刻されるソフトも出てきて、少しずつ日の目が当たるようになってきました。

それ以外にも、スマホゲームでKOFのソシャゲが多数運営されていたり、サムスピの新作が出たり、テリー・ボガードがスマブラに参入したりと、SNKのゲームやキャラたちは息を吹き返しています。

親である会社……土台が崩れても、ゲームやキャラは生き続け、やがては立ち直ることができる。そして、今もなお多くの人々に愛されることができる。
旧SNKの製作チームが、たくさんの人の心を惹きつける魅力的な作品を生み出してくれたからこそ、なし得た奇跡だと、わたしは思います。

今になって、新しい閑丸に出会えるなんて思いもしませんでした。プレイできるハードがないから購入できなくてすみません。落ち着いたらSwitch買います。大好きです。

2020年5月7日木曜日

心から愛したバンドへの狂想曲

MERRYが,本当の本当に大好きでした。
過去形にするのを躊躇いたくなるくらい,大好きなバンドだったんです。

でも,今のメリーは,私の好きだったMERRYとは違う。客観的な立場から見ると、曲も方向性もメンバーの人格も色々と歪みが出てしまっているように感じる。
良いライブをするバンドだったからこそ,現状が歯がゆくてしかたない。盲目から冷めただけと言い切るには否定できないほど悪い方向に転がっていると思う。

私の中でMERRYを象徴する曲が,【collector】です。
群青というシングルのc/wに収録されている曲。
曲の雰囲気を例えるならば,見世物小屋。不気味だし,近寄りがたいのだけど,その奇妙で不可思議な魅力には抗えなくて,好奇心からそっと覗き込んでいる内に目が離せなくなる。
まさに”悪趣味”であり,”掃き溜め”に足を踏み入れるような行為。けれども,その掃きだめがやけに居心地が良い”花園”であるから困ったもので。

”曖昧な感覚が 錯覚を超えてゆく 鮮やかな夜の中 消えてゆく 消えてゆく
 絶頂へ駆け上がる ひくひくと 狂おしく 唄っているよ 暗いメロディ♪”

【collector】のサビで唄われる上記のフレーズが,まさにMERRYというバンドの魅力だと思います。
MERRYの何が良いのかと問われたら,明確に答えることはできません。
ただ,彼らの曲を聴いている内に,奇妙さも不気味さも何もかもが”曖昧な感覚”に溶かされていくのはわかります。良さは確かにあるし,感じられるのだけど,あまりに曖昧で掴み取ることができない。理性でも理解でもなく,本能と感覚が酔いにも似た快楽を与えてくれる。
こんな奇妙な感覚を与えてくれたバンドは後にも先にもMERRYだけです。

でも,今のメリーにはこの感覚が欠けてしまっているように思います。
メリーからMERRYになって,MERRYからメリーに戻る。
ガラはそんなに深い意味はない的なことを言っていたけど,私にとっては十分に大きな変化でした。
ゾンビツアーで火がついて,NOnsenSe MARkeTの最上階がピークで,最後の輝きが2017年の野音だったなぁ。エムオロギーの曲は好きなんだけど,バンドの方向性は定まってなかったから迷走状態でどんどん衰えていく姿を見るのが苦しかった。

こうして振り返ってみると,テツさんの離脱というバンドの危機を乗り切るため,必死で這い上がろうとする彼らの姿が好きだったんだろうなと思う。
テツさんが怪我をして復帰が難しいということを知ったのは、2013年、遠征先の松山でした。
1年ぶりのMERRYのライブ&インストアイベントということで、わたしはとても幸せな気持ちで松山に向かいました。けれども、よりにもよってその前日にテツさんがライブを途中で離脱したというニュースを知りました。

いったい何があったんだろう……。大丈夫なのかな……。
そんな不安と戦いながらインストアイベントの始まりを待っていると、テツさん以外の4人が店内に入っていくのが見えました。本来なら、ギター隊だけのイベントのはずなのに。
そこで語られたのは、テツさんがしばらく復帰できないという最悪の現実でした。

そこから、わたしは2016年の2月…5人のMERRYが復活するまでの一部始終を見届けました。
完全復帰の最上階ライブは、本当に嬉しくて感動して…そこで満足し切ってしまったのだろうな、きっと。

2015年渋谷公会堂で目にした「群青」の感動や,ラムフェス京都の「Happy life」で得た幸福感は今でもありありと思いだせるほど眩しい思い出です。たくさんのライブを見てきたけど,この2曲は格別。
NOnsenSe  MARkeT(B1~最上階)と15sheepツアーは本当に楽しかった。戻れるならもう一度あの頃に戻って全箇所回りたいくらい。

と綴りながらメリーの曲を流していたら,「閉ざされた楽園」のアコースティックverが流れてきて,あぁ良い曲だなぁとしみじみ感じた。ライブで聴くともっと良いのだよなぁみんなで合唱するところも好き。
こんなにも大好きな曲がたくさんあるのに,楽しかったライブの思い出もあるのに。
どうして一番新しいミニアルバムの曲は受け入れられないんだろう。
いけるかと思って挑戦してみたけど……うーダメだ……。
ただ一曲だけ,「最後の晩餐」だけは聴ける。これが最後の輝きにならないことを祈ります。ガラの書くこういう感じの歌詞が好きなんだけどな。


上記の文章を書いてからしばらくたった今年の2月。健一の脱退が発表されました。
居ても立っても居られず、急遽神田明神ホール行きを決め、いざ東京へ。
そこで目にしたのは、残酷すぎる現実でした。

健一は、バンドマンのくせにファンとの交流が苦手で、人見知りで、口下手な人です。
握手会やサイン会でも目を合わせてはくれないし、フリートークの時は手が震えていました。
でも、ライブが始まると人が変わったように全力でギターをかき鳴らし、ステージ上でグルグルと円舞する姿を見せてくれるのです。
そんなギャップに魅せられて彼のファンになりました。

脱退が発表されてから始めてのライブ。アンコールでとうとう健一は口を開きました。
普段はMCをしない彼が、声を震わせながら、涙を堪えながら、
「みんなが新しいことに挑戦して頑張っているのに、自分は変われなかった。」
「自分の力不足ですみません。」
と謝ったのです。謝らなくても良いことを、ファンに向かって、謝った。

わたしには、拷問にしか見えませんでした。メンバーもスタッフも、どうしてこんなに健一を追い詰めるんだろうと怒りすら覚えました。
フォローらしいフォローもないまま、ライブは続行します。
奏でられる曲たちは、どれもこれも好きだった曲。全力で暴れていたはずの曲。
音は感情を無くし、歌声は嘘にしか聴こえない。

太陽のように輝いていたバンドが、眼前で急速に錆びついてボロボロに崩れ落ちていく様子を見て、哀しみと怒りとやるせなさに襲われました。
しかも、錆びつかせている原因は、あんなに大好きだったはずのメンバー自身。

"狂い咲け 燃えて散れ 闇に降る星になれ 羽を広げ 歪んでる この世界を切り裂いて"

いつかのライブで「梟」を歌うガラの背中を見て、
「この人たちなら、もっと高いところまで行ける。どこまでもついて行こう」
と誓ったはずなのに。信じられたはずなのに。
音が耳に届いても、姿を目で認識できても、心に届かなければ全くの別物になるのだということを知りました。

立ち尽くし、泣きつくし。
ライブが終わったあとに残ったのは、涙で濡れたマスクと、
「あぁ、わたしの好きだったMERRYはもうどこにもいないんだ」
という虚しさだけでした。

コロナウイルスの関係で、健一のラストライブも延期されたけど、これからどうなるんだろう…。本当にいろんな意味でタイミングの悪いバンドだと思う。
ほんの少しだけでも音楽の神様に愛されていたならば、違う未来があったかもしれないのに。

追記(7月26日)

コロナウイルスの影響でライブ活動の再開もままならない中、メリーサイドからとんでもない要望が出されました。
それは、8月からライブツアーをするためにファンから寄付を募るというもの。
クラウドファンディングでもなく、事務所を通してでもなく、メンバー個人の口座への寄付。

最初に目にした時は混乱してしまって、詳細ページもまともに読めなかったけれど、冷静になって読み返してみると色々と酷い内容だと気づきました。
案の定、ネット上での反応は酷いもの。上記したように、メリーはどん底の状態にいるというのに、わずかに残った献身的なファンの心すら折っていくなんて正気の沙汰じゃない。裏を返せば、それだけ追い詰められているということなのでしょうが……。
PMのテツさんの精神状態が心配……潰れなきゃいいけど、youtubeやTwitterでリアルタイムの反応が見れる現代なら、いつ潰れてもおかしくない気がする…。

今回の寄付の件は、私のように既に心が離れている人の心も抉るだけのダメージがありました。
大好きだった頃のMERRYが戻ってくる可能性はゼロに等しいって理解してはいたけど、底無しに落ちていく姿が見たかったわけじゃない。
せめて、最後は笑顔で見送りたいと思っていた。別れ……健一のラストライブくらいは、リアルタイムの5人の音を余すことなく体感したいと思っていた。全身全霊で感情を溢れさせたいと思っていた。
キラキラ輝いていて、高い目標に向かって羽ばたこうとしている彼らを、偽りでもいいから見たかった。

わからない。
目の前の画面に映る彼らはこんなに魅力的なのに、歌も音も曲も心を掴んで離さないのに。その先の未来が、どうしてこんなに真っ暗闇なのか。もがいてももがいても光が見えないところまで来てしまったのか。

寄付をして過去に戻るっていうなら出せる分だけ出す。もう一度2014〜2017年の輝きを見せてくれるなら、あの頃に戻れるっていうなら戻りたい。
でも、健一の脱退が決まっている以上、そんな未来はありえない。過去は戻らない。MERRYじゃないナニカを追いかけるために意味不明なお金を出すなんて、わたしにはできません。

今からでも良いから、せめて「9月の野音を実施するための寄付」に変えて欲しい。
ライブハウスでツアーをするのは無理だとしても、野外かつ広い野音ならまだ希望がある。
それじゃライブハウスのキャンセル料が払えないっていうんなら、これまでの感謝と健一への餞別も兼ねてちょっとは無理するから……。頼むから野音だけに絞って欲しい。

もちろん、寄付という形式に疑問がないわけではないですが、野音で健一のラストライブを見る方法がそれしかないって言うんなら、進んで騙されにも行きます。それだけ盲目なNMNLだったんだから。

色々書き連ねましたが、単純明快に今の気持ちを表すならば、

辛い。
ひたすらに辛い。

この文章を打ちながら、何度泣いたかわからない。

中途半端に情報を追いかけちゃうから辛いのかなぁ……。全部シャットダウンしちゃったら楽になれるんだろうけど、楽しかった思い出も大好きなライブ映像も定期的に振り返っちゃうから完全に切るのは無理……。

また、何か吐き出したくなったら追記しにきます。溜め込むのは無理。苦しい。辛い。

2020年5月6日水曜日

わたしと愉快な仲間(スマホ)たち+1

Twitterでも度々話題にしていますが、わたしはスマートフォンを複数台持ちしています。
先日、緊急速報メールの音に恐怖して台数をうっかり暴露してしまったので、隠し立てはせず正直に記そうと思います。


これらが一斉に鳴り出した端末たち+1です。超小型の⑥palm phoneのみ鳴らなかったです。良い子。

これだけ持っている理由は、スマートフォンいじりが趣味だからです。
スマホの情報収集をしているだけで楽しいし、家電量販店や中古ショップで端末に囲まれているだけで幸せになれます。

特に惹かれるのは、唯一無二で特徴のある変態スマホたち。
simフリーで色々なスマホが買えることに気付いてからは、魅力的な端末を探し求める日々です。次に買うなら5G対応モデル…ということで現在は購入を自粛中。

現在進行形で使用している端末は上記の写真にある11台。
それぞれの端末について簡単に紹介していこうと思います。

1.BlackBerryKEY2
docomo音声通話sim+LINEモバイルデータsim(3GB)のデュアルsim運用
2年ほどメイン機として使用しています。音声通話、メール、sms、LINEなど、外部連絡ツールは全てこの一台に集約しています。
初期インストールされているBlackBerry Hubを利用して各種メールアドレスを一括管理できるのが便利(このアプリ自体は他機種でも使えます)。
通知ランプで知らせてくれるので、連絡を見落とすことが少ないのもポイントです。

この端末の最大の特徴は、qwerty物理キーボードがついていること。
おかげで長文が打ちやすいです。さらには、各ボタンにアプリの起動を割り振ることができたり、キーボード上で指を滑らすことでスライド操作ができたりするので、画面にさわらずに操作することができるのもお気に入りポイントです。大好き。
唯一の欠点は、製作してくれたTLCとのライセンス契約が解除されたため、新作がいつまで待ってもでないこと……KEY3……待ってたのに……。

2.GalaxyNote10+
Fuji sim(25GB)
家でのメインサブ機。動画&電子書籍を見るのに使用しています。今もこれでyoutube動画を流しながら文章を打っています。
6.8inchかつエッジディスプレイ&インカメラがパンチホール式なためベゼルレスなところが魅力。
スナドラ855、メモリ12GBという性能過多端末なため、ストレスなく使用することができます。大好き。
Sペン内蔵のためすぐにメモが取れるところや、Dexを搭載していてテレビにケーブルで繋ぐとパソコンのように操作できるところも面白いです。

3.Galaxy z flip
Fuji sim(100GB)
外出時のメインサブ機。使用用途はGalaxyNote10+とほぼ同じ。
折りたたんでポケットに入れて持ち運べるサイズ感が気に入っています。見た目がとにかく可愛いのもポイント。大好き。
テザリングでモバイルルーターとしても使用することも多いです。
折り畳み端末ゆえに、エッジが盛り上がっていて埃が端に詰まりやすいのが難点。ディスプレイも柔らかく傷つきやすいのでエアダスターで定期的に掃除する必要があります。

4.pixel4
イオンモバイル データsim(1GB)
最新のpixelを持つ利点は、他のAndroidスマホよりも先に新サービスを試せるところにあります。
Google純正という響きが良い。すごく良い。大好き。
電池持ちは悪いし、端末の性能自体に尖ったところはないのだけど、上記の点だけで買ったかいがあると思わせてくれる端末。外見も可愛い。
最近はサガスカ用としても活躍中。

5.pixel3
UQモバイルデータsim(3GB)
おサイフケータイ用。このご時世、背面指紋認証がとっても便利。
なので外出時には、BlackBerryKEY2やGalaxy z flipよりもメインで使う機会が多いです。
最新ではないけれどサクサク動くし、単眼カメラだけど写真が芸術的に撮れます。
特にお気に入りの一台。大好き。

6.palm phone
iijmioデータsim(6GBシェア)
ポケット用端末。3.3inch、62.5gのクレジットカードサイズの可愛い子。
仕事中はこの端末をポケットに入れて時計やカメラ、ストップウォッチがわりに用いています。
パッと出してパッとしまえる絶妙なサイズ感で便利。大好き。
性能は低いけど、ネットやTwitterを見る程度なら十分使えます。

7.Zenfone6
ocnモバイルone 旧データsim(110GB/1day)
ロマサガRS専用端末。
ロマサガRSをストレス無くプレイするために購入。スナドラ855の無駄遣い…かもしれないけど、安定してプレイできているので大満足です。
他のハイエンド端末と比べると比較的安価で買える点と、バッテリー持ちが良い点がポイント。液晶のため、画面を付けっぱなしにしていても焼き付きの心配がないところも良い。
あとは、画面占有度の高さが何より最高です。アウトカメラをインカメラにするという変態ギミックの功績は偉大。大好き。

8.Mate9
ocnモバイルone 旧データsim(110GB/1day)
車内用端末。ocnモバイルone 旧データsim(ミュージックフリー契約)
カーオーディオに繋いで音楽配信サービスを聞くのに使っています。
画面比率が最高。(横幅はiPhone11Pro Maxより広い)
代わりになる端末が中々現れなかったのですが、GalaxyNote10+が発売されたことで、ようやく第一線を退くことができました。
発売から3年経っていてもまだサクサク使えるし、バッテリー持ちも良いです。好き。

9.iPhone xs
楽天モバイルデータsim(3.1GB)
iOS検証用端末。
pixel3を購入した時に、どうしても比較検証したくて購入した端末。
x系統の操作性を試してみたかったというのも理由です。

2台を比較検証した結果、わたしはAndroid派に傾きました。
iPhoneの性能は良いと思います。ゲームも対応しているものは起動が速いし,サクヌルだし。ビデオ撮影に関してもiPhoneの方が良いかなと思う。

ただ、ノッチとか端末の重さとか、今だにLightningケーブルとか、もうちょっとどうにかなっただろー!という細かい点が気になってしまうのです。
上記の点が改善されるまではiPhoneの新作は買わない…はず(´・ω・`)。
5sまでは毎回の進化がワクワクだったのになぁ…殿様商売にだけはならないで欲しい。

10.iPhone8 plus
Wi-Fi運用
サガスカ専用機。他のゲームもダウンロードしているけど、ここ最近はサガスカばかりプレイしています。
xsと違って完全に全画面でプレイできるのが利点。ゲームをプレイするという用途においては、現行のiPhoneの中で一番優れていると思います。好き。
iPhone8レベルの性能があればストレス無くプレイすることが可能です。
画面録画が簡単にできる点もiOSの良い点だと思います。

11.iPhone8
Wi-Fi運用
iPod touchの代わりに音楽プレーヤーとして使用中。
iPhone8シリーズを2台持っているのは、ホームボタン付きiPhone最後の世代になると思ったからです。そうしたら、まさかの新iPhone  SE発表で少しだけ残念な気持ちになりました。
普段使いするならiPhone8でも十分なのですけが、最新チップっていいなぁ…。

以上11台。今年はあと何台増えるか……お財布とご時世と5Gと相談しながら決めようと思います。

番外編(タブレット)

iPad Pro 11inch(2018)セルラーモデル
iijmio esim(6GB)
文章打ち&お絵描き用。
最近、長文を打つようになったのは、Smart keyboard folioを購入したことが大きいです。
仕事で使うために購入したのですが、普段使用しているのがGPD Pocket2という7inchパソコンのため、キーボードの幅が違い思うように打つことができず…。

慣れるためにひたすら長文を打ち続けた結果、素早くタッチタイピングできるようになってきました。Windowsで育ってきた人間なので、Mac配列に戸惑うこともありますが、快適に文章入力できています。
打鍵感もしっかりしていて打ちやすいので、個人的にはこれで満足。マウスも併用するならば、新しくでたMagic Keyboardは特に必要ないかと思います

次に、お絵描き用途について。
普段Twitterに上げている絵は、全てこのiPad  ProとApple Pencil、iPad版クリスタで描いています。
お絵描きに使う時間が一番多いことを受けて、先日、ペーパーライクフィルムを貼りました。
アンチグレアタイプのため、画面の鮮明さは落ちます。けれども、ペンの滑りが減ったため絵は描きやすくなりました。
貼った直後は気泡が目立ちましたが、自然と消えていき、3日目で全ての気泡が見えなくなりました。きれいに貼れて一安心。iPadは面積が広いから貼りづらいのですよね…。

デジタルでお絵描きを始めたい!という方には、iPadをおすすめします。
さすがにProは高いので簡単におすすめはできないです。ただ、Proでのみ使えるApple Pencil第2世代は、iPadの側面にくっつけて充電ができるので、物を失くしやすい人や充電を忘れがちな人にはこちらがおすすめです。
Apple Pencil第1世代(iPadのお尻にさすタイプ)でも良いのならば、4万円程度で買える一番安いiPadにも対応しています。セットだと5万円程度なので、Proの半額程度で買えます。

デジタル絵を描くなら、パソコンにペンタブ(板タブ or 液タブ)でも良いのではないかと考える方もいると思いますが、わたしがiPadを推すのは、圧倒的な手軽さにあります。
絵が描きたい!となった時に、iPadなら画面をつけて、Apple Pencilを手に取って、アプリを立ち上げればすぐに描くことができます。一連の流れは、1分もかかりません。
描く姿勢も選びません。寝転がってもいいし、体育座りでも良いし…実際のスケッチブックに描く感覚で絵を描くことができるのです。

正直な話、一時期わたしは絵を描くことをやめていました。一ヶ月描かないことも当たり前になり、久々に描いたとしても作業に集中できず、絵はどんどん劣化していく一方でした。
このままじゃまずい。と思っていても仕事は忙しく、パソコンを立ち上げる気にもなりません。
当時好きだったジャンルに冷めていたこともあり、絵を描くことへの意欲は日に日に削がれていきました。

そんな中、わたしの気持ちが一転する出来事がありました。
サガスカーレットグレイスとロマサガRSにどハマりし、自ジャンルを見つけることができたのです。

こうなると「絵が描きたい」欲は一気に湧いてきます。
新しい板タブを買い、再び絵を描くようになりました。けれども、上でも述べたとおりわたしのパソコンはUMPC、画面は小さく描きやすい環境とは言えませんでした。

それならば、と前々から興味を持っていたiPad ProとApple Pencilを購入することに。
予想以上の描きやすさ、iPad版クリスタのUIの使い勝手の良さに、絵を描く頻度も上がっていき、Twitterにも絵を上げるようになっていきました。

Twitterを通して反応や感想をいただけることが嬉しくて、ゲームの話ができるのが嬉しくて。
絵を上げ始めた当初は、フォロワーさんも少なかったけれど、どんどん輪が広がっていき、充実した趣味の時間を過ごすことができています。
この文章が目に触れたということは、ここまで読んでくださったということですよね。本当にありがとうございます。

2020年5月5日火曜日

正統ゆえの異端

Sa・Ga3時空の覇者 完結編。
このゲームは、とても難しいゲームです。

何と言っても難しいのが、サガシリーズにおける立ち位置です。
この作品ほど賛否両論が分かれるゲームも珍しいと思います。
何故かというと、サガシリーズで唯一河津さんが関わっていない作品だからです。

制作したのは、スクウェア大阪チーム(故に、くいだおれという敵やハリセンという武器が存在します)。
前2作からシステムががらっと変わったこともあり、この作品をサガシリーズと認めないという方も少なからずいることと思います。

そう、時空の覇者は、サガシリーズにおいて明らかに異端な存在です。
レベル制やMPの概念が存在し、魔法は買って覚えます。
これまでのGBサガというよりも、FFに近いシステム……。
つまり、一般的にいうところの正統派RPGだったのです。

この変化に大きく戸惑った人物がいます。わたしです。

前の記事で語ったように、わたしは秘宝伝説に鍛えられて育ちました。
そのため、ドラクエやFFのような正統派RPGに全く触れないまま時空の覇者のプレイを始めたのです。

電源を入れると、いきなりバトルトレーナーの戦闘が始まります。
秘宝伝説とは違う戦闘画面にも驚きましたが、一番驚いたのは、
「武器や魔法に使用回数がない!?」
ということでした。
さらには、ぶき、のうりょく、まほう、アイテムと書かれたアイコンの意味もよくわからずひたすら混乱していたことを覚えています。

しかし、それは序の口でした。

これまでとは異なる変身方法、複雑なステータス画面、魔法の買い方・覚え方、アイテムの使い方……などなど、わからないことだらけ。
レベル上げの概念がなかったこともあり、魔界塔士とは別の意味で苦しみ、あまりの難しさになかなか攻略を進めることができませんでした。

しかし、それがマイナス要素だったかというとそうではなく。
「武器を買ったら無限に使えるとかすごい!!夢みたい!」
「エスパー以外も魔法を覚えていいの!?やったー!」
「ムオンもサモンもメタモルも楽しい!」
「ジャンプするの楽しい!」
「ステスロスかっこいい!強い!速い!!」
……などなど、これまでとは違うゲームシステムを楽しみながらプレイしていました。

けれども、レベル制にはなかなか慣れることができず、異次元ワープをしてからはボス戦ごとに苦しんでいました。
中でも、フェンリル、ベリアル、ボルボック……ボルボックに至っては倒せなくてわんわん泣きました。ドット絵も怖かったですし。

レベルを上げれば勝てるはずなのですが、秘宝伝説で"戦うたびにパラメータが上がる楽しみ"を知ってしまったわたしにとって、一定数の経験値を貯めないととパラメータが上がらないレベル制は、やきもきするシステムでした。
戦えば強くなるのは理解できるのだけど、ご褒美が待ちきれなかったのです。

ドラクエやFFがプレイできるようになった今でもこの感覚は残っていて、戦闘に何かしらの成長要素を求めてしまいがちです。
サガスカは技を閃くし、ランクアップするし、HPや武器レベルも上がるしでご褒美いっぱいで楽しいし、ロマサガRSはそのご褒美のために周回しているようなもの。
そりゃあ、はまるわけだ。と手元で動き続けているロマサガRSの画面を見てしみじみ思います。

そして、何といっても難しかったのがラスボス、ラグナ戦です。
ドM神(酷)ことソール神をぼこぼこにした後に登場するラグナ。
恐ろしかったのは強さだけではありません。本気を出した時の見た目があまりに怖くて、画面を直視できなかったことを覚えています。
先のボルボックでも触れましたが、時空の覇者のボスドットは怖いのが多い気がします。ネットで検索してみたらクトゥルフ神話が元ネタなのではという考察があってなるほどと思いました。
それなら陰湿な印象を受けるのも納得できる。怖いよう。

さて、ここまで読んでくださった方の中には、
「そんなに難しかったっけ……?」
と不思議に思う方もいるのではないかと思います。
時空の覇者を知っている方に話すたび、そう指摘を受けました。
「時空の覇者が一番簡単にクリアできた。」とも言われました。

先述したレベル上げも原因ではありますが、これは直接的な理由ではありません。
わたしが時空の覇者をクリアできなかった最大の理由は、
"聖剣を装備すればボス戦が楽になる"
という情報を知らなかったことにあります。

ラグナ戦ではエスパーにアシュラやフレアを使わせていたし、人間とサイボーグはひたすらかくばくだん(お店で買える)を投げていました。それが一番強いのだと信じて。

まさかと思い、半信半疑で全員に聖剣を装備させて挑んだところ、あっさりとラグナに勝つことができました。
驚くと同時に湧いてきたのは「これ、どこかにヒントあったっけ…?」という思いでした。
多分あったのだとは思うのですが……(覚えてない)。人の話はちゃんと聞かなきゃいけないんだなと痛感した出来事でした。

以上、Sa・Ga3時空の覇者 完結編の思い出話でした。
DS版では、DS版サガ2の要素が引き継がれ、システムごとリメイクされた、サガらしいゲームになりました。それはすなわち、正統派RPGの要素を捨てたということになります。

正統と異端とはどう定義されるものなのでしょうか。
GB版サガ3は、正統ゆえに異端と、一部から冷たい目で見られました。
しかし、サガという看板を背負っていなければ、正統派RPGとして一定の評価を得たと思うのです。実際に、ゲームの出来自体はとても良いのですから。

では、サガシリーズは異端なのか。これもそう言い切るのは難しいです。
わたしのように、このシステムの方がしっくりくるタイプの人もいます。
そう言った人たちから見たら、正統と言っても良いのかもしれません。

結局は人それぞれ。捉え方次第なのかな……と思っていたのですが、

「ドラクエは誰でもクリアできるように考えて作られている。だからスタンダードなんだ。でも、サガシリーズはそうじゃないでしょう。あの難易度は人を選ぶ。」

と職場の先輩が話すのを聞いて、
「あぁそういう考え方があるのか。」
と素直に納得することができました。
これが"正統と異端"に対する一つの答えなのではないかと、わたしは思います。


思いの外長文になってしまいました。次は、ロマサガ……と行ければいいのですが、実は、ロマサガ〜アンサガまでは、語れる程の思い出がないのです。
触りをプレイしただけとか、兄がプレイしているのを見ているだけとか、そういうレベル。
サガスカについて語るとなると、ネタバレ不可避の膨大な量になるのは目に見えているので、ちょっとずつ書いていこうと思います。ファイアブリンガーについてだけでも膨大な量になりそう。