2020年5月30日土曜日

過去のLIVE映像を見つつ


変わったのはバンドなのか、それとも自分なのか。
MERRYのLIVE映像を見返すたびに、そう自問自答している自分がいます。

映像の中の彼らは、紛れもなく私が大好きだった頃の彼らで。
曲や音を聴いていると自然と気持ちが高まるし、心をぐっと掴まれます。

こんなにも惹きつけられることを踏まえると、わたしの感性は当時のまま変わらないのだろうと思います。初期のエログロ路線も好きだし、レトロックも好き。
MERRY時代の曲や音に至っては最適という程に心に馴染んでいて、安心すら覚える。

となると、バンドの変化について行けなくなったというのが正解。
どれだけ楽しい思い出があったって、大好きなものを与え続けてくれたバンドだからって、自分の感性を変えてまで付いていくことはできませんでした。

バンドの屋台骨となる楽曲が合わなくなったのは、正直苦しかったです。
それまでは新曲が出るたびに衝撃を受けて、「さすがMERRY!!」と惚れ直していたのに、ある時を境に「何かしっくりこない」という違和感を覚えるようになりました。

歴代の推しとの別れも似たようなもので。
噛み合っていた歯車がずれ始めたところから終わりが始まります。
Janne Da Arcの時は、活動休止という形で歯車は止まり、最終的にはメンバー自身の手で破壊されました。
稲田さんの時は、引退に伴って歯車が撤去されました。

不思議にというか、ありがたいというか、推しが居ない期間というのは長く経験したことがなく、前ジャンルから上がっても比較的早く次のジャンルに渡ることができています。

唯一の例外は稲田さんの後。
それまでは好きを上書きしていく形での移動だったのですが、稲田さんに関しては好きがピークのまま終わりを迎えたので、しばらく放心状態でした。
「これ以上好きになれる相手に出会えるのか」
「いつまで空っぽな気持ちのままでいれば良いのか」
と不安に思うほど。……だったのですが、何気なく購入したMERRYのLIVE DVDがカッコ良過ぎたことで状況が一変しました。

推しができるきっかけやタイミングは自分にもよくわからないもので。
無理して好きを作ろうとしても上手くいかず、気づいたら好きになっていることが多いです。そういう意味では、この想いは恋愛感情にも似ているのかもしれません。

現在居るジャンルは、好きという意味で言えば幼少期からだから、惚れたというよりは好きで居るのが当たり前という感覚です。
だから多分上がるとかそういうのは無くて。この先、他に好きな対象ができたとしても、並行して好きであり続ける存在なのだと思う。

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