「誰だって、BOYを捨てるときがくる。」
これは、1998年に発売されたとある携帯ゲーム機のキャッチコピーです。
「1998年」「携帯ゲーム機」「BOY」
当時、ポケモンブームに乗ってゲームボーイとその市場は盛り上がりを見せていました。そんなゲームボーイに真正面から(?)喧嘩を売った携帯ゲーム機。それがネオジオポケットです。
ネオジオという名称からわかるように製作・発売元はSNK。
ファミ通を読んでいた方ならば、「水木しげるの妖怪写真館」が出たハードとして知っている方も多いかと思います。油すましのベストショット…。
懐かしくなって調べてみたら、チップス小沢さんのTwitterアイコンになっていました。これがあの有名な油すましのベストショットww
うっかり話が逸れてしまったので、本筋に戻ります。
ネオジオポケットの歴史を簡単に振り返りますと、
1998年10月にモノクロ版が発売したかと思いきや、
その半年後の1999年3月にカラー版が発売。
さらにその7ヶ月後には小型・廉価版が発売され、
2001年のSNK倒産とともにその役割を終えたハードです。
その不遇さは、当時のSNKの迷走っぷりを体で表すものだったと思います。ハイパーネオジオ64、ネオジオランドと合わせて、SNKの負のスパイラルの一つとも言えるかもしれません。
……というのは、一般的なイメージからのネオジオポケットのお話。
ここからは、わたしから見たネオジオポケットのお話です。
当時のわたしはSNK信者でした。
信者……というか、盲目と言ってもいいほどのめり込んでいて、愛読書はネオジオフリークとノベライズ小説(ファミ通文庫)。部屋にいる時にはサントラやドラマCD、ネオジオDJステーションやねおちゅぴを好んで聴きつつ家庭用移植ゲームをプレイし、ゲームセンターに行くと必ずネオジオの筐体を確認して回るほど大好きでした。
ただ、その好きはちょっと邪なもので。
SNKのゲームが好き!という以上に、魅力的なキャラと設定に惹かれていました。キャラをアイドル視していたというか……。
ただ、当時はSNKがそれを煽っていたことも事実だと思います。
バンドオブファイターズとか公式であったし、ネオジオDJステーションライブとか実際にしてたし。庵に至っては、オリジナルストーリーで舞台も開催していました。
派生作品に関しては、ためらいを焼き尽くしつつ腰抜けどもは消え失せて夕陽と月を歌える程度にはどっぷり浸かっています。ぶっちゃけ夕陽と月は名曲なのではなかろうか。
さらに言うとギース様の帰依はまごうことなき神曲。リアルバウト餓狼伝説のストーリーを受けて聴くと涙腺が緩みます。ハワードコネクション大好き。
また話が脱線してしまいましたが、わたしがいかにSNKキャラのことを好きだったかというのはわかっていただけたことと思います。
気を許すと別のことを語りたくなる。さすがはSNK…!
奇しくも時は、1998年。そう、あの名作「KOF'98」が封切られた年です。
'94以来の純粋なお祭りゲーム感と、ゲームバランスの良さに夢中になりゲームセンターに通ったことを覚えています。わたしの中でKOFが一番熱かった年です。
そんな時に、ネオジオフリークを読んでいて目に入ったのが、ネオジオポケットでした。
"ネオジオ初の携帯ゲーム機。"
という売り文句以上に、
「この値段なら、買えるかも!!」
という期待にわたしの胸は高鳴りました。
そう、ネオジオというハードは高いことで有名でした。
ゲームセンターそのままのクオリティが家庭でもできる。その見返りはとても大きく、本体価格約50,000円&ロムカセット30,000円超え。
当時のわたしに買えるわけがなく、ファミ通の通販記事を見ては「欲しいなぁ…」と思いを募らせていました(ネオジオCD-Zも価格とロードの長さがネックでした…)。
それに比べ、ネオジオポケットの価格は7,800円。
ネオジオと名のついたハードが携帯機とはいえ買える。その事実が嬉しかったのです。
……が、買おうかどうか迷っている間に、カラー版が出るという情報を知り、そちらを選ぶことに。
待ちに待ったネオポケカラーの発売。本体と同時にKOF R-2を購入しました。
携帯ゲーム機とは思えないほどにカチカチと小気味よいスティック。ボタンは2つと少なかったですが、格ゲーをするのに苦はなく、KOF'98のデフォルメ版を携帯機で快適にプレイできる環境に満足していました。
その後、サムライスピリッツ!2も発売され、アスラ斬魔伝(ハイパーネオジオ64だったため、地元のゲームセンターではプレイできず)でしか使えなかったキャラが使えることが嬉しくてひらすらプレイしていたことを覚えています。
カラー画面は綺麗で、操作性も良い。さらにはドリームキャストと連動もできる。毎月ネオジオフリークで新作情報が見れることもあり、根っからのゲームボーイっこだったわたしは完全にネオポケユーザーに鞍替えしていました。
そして1999年の10月。とうとう夢のソフトが発売されます。
二大格ゲー会社の初コラボ作品、「SNK VS CAPCOM激突カードファイターズ」です。
「一作目が格ゲーじゃないのか。」というツッコミもありましたが、このカードゲームがとにかく面白かった。
SNKキャラとCAPCOMキャラのカードのイラストは可愛くて魅力的。キャラの能力や援護システムやアクションカードはそれぞれのキャラの特性を活かしたものでした。
カード総数は300枚。そのため、格ゲー以外のゲームや、マイナーどころまでカード化されていたのです。まさにSNK VS CAPCOMの名に恥じぬラインナップと言えます。
自分の好きなキャラでデッキを組むもよし、性能でデッキを組むもよし。カードのコレクション要素もあり、夢中になってプレイしました。おそらく、ネオポケで一番プレイしたゲームです。
あと良かったのが、閑丸とリムルル(修羅)がお互いに援護しあえること。それだけでカップリング好き的には大満足できたんだから恐ろしい。サイトロンのドラマCDといい、この時期は半公式だったと思うんだ…。
さらにその二ヶ月後には、待ちに待った格ゲーver「頂上決戦最強ファイターズ SNK VS CAPCOM」が発売。おそらくはこの時がネオジオポケットのピークだったと思います。
デフォルメとは言え、夢の戦い。月華の剣士やヴァンパイアからも参戦キャラがいたことが嬉しかったです。プレイヤーキャラに選ばれなかったキャラも、ちょこちょこ出てきたりしてお祭りゲー感が強かったです。
格ゲー部分以外にも作り込まれていて、オリンピックモードでは様々なミニゲームを遊ぶことができました。このミニゲームが面白かった。そして、SNK側のマネージャーがリムルルというところがポイント。
大事なことなのでもう一度言います。SNK側の進行役、マネージャーがリムルルなのです。
リムルル好きのわたしは歓喜し、ひたすらオリンピックモードに居座っていました。
ミーティングコマンドでリムルルと会話ができる上に、リムルルの好感度が上がると時折閑丸の話題を出してくれるという神対応っぷりに、幸せの方が頂上に達していました。
時はすぎ、2000年代に突入します。心が離れるきっかけとなったのは、1999年末にPSで発売されたサムスピ新章にありました。
餓狼伝説は3Dから、餓狼MOWという名作で巻き返したというのに、なおも迷走するサムスピについていけなくなってしまったのです。
気づけばゲームをプレイすることも少なくなり、ネオジオポケットも埃をかぶるようになり……これは今でも後悔しているのですが、最終的にはソフト毎売り払ってしまいました。
大好きだったからこそ、離れる時の気持ちの落差は激しいものでした。
わたしが距離を取るようになってからも、SNKの迷走はすでに取り返しがつかないところまで進み、2001年の倒産を迎えます。
大好きな状態のまま終わりを迎えていたとしたら、より辛かったのだと思います。距離をとっていても、辛いことに変わりはなかったのだから。
そういう意味では、自己防衛が働いていたというか、終わりの匂いを嗅ぎ取っていたのかもしれません。
さて、そんな不遇な時を過ごしたネオジオポケットですが、最近では、「サムライスピリッツ!2」や「ギャルズファイターズ」など、Switchで復刻されるソフトも出てきて、少しずつ日の目が当たるようになってきました。
それ以外にも、スマホゲームでKOFのソシャゲが多数運営されていたり、サムスピの新作が出たり、テリー・ボガードがスマブラに参入したりと、SNKのゲームやキャラたちは息を吹き返しています。
親である会社……土台が崩れても、ゲームやキャラは生き続け、やがては立ち直ることができる。そして、今もなお多くの人々に愛されることができる。
旧SNKの製作チームが、たくさんの人の心を惹きつける魅力的な作品を生み出してくれたからこそ、なし得た奇跡だと、わたしは思います。
今になって、新しい閑丸に出会えるなんて思いもしませんでした。プレイできるハードがないから購入できなくてすみません。落ち着いたらSwitch買います。大好きです。
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